檀一雄さんにつきそわれて、佐藤春夫夫妻が、九品仏の私のあばら家へはじめておいでになったのは、一九五四年九月二十三日の夕刻のことである。時日までここに書き出すことができるのは、さきにも述べたように、そのときのメニューがいまも、私の家に残っているからである。 もう三十年近くもたってしまったから、さすがに色褪せてしまっているが、そのときのメニューは、例の満寿屋の原稿用紙に書かれており、檀一雄、佐藤春夫のほか、女流作家の加賀淳子さんとそのご主人の吉村さん、それから私の本を出すことになっていた現代社の責任者である鶴野峯正さんが同席している。 先生たちはハイヤーをやとって、関口台町から九品仏まで来られた。先にも後にも、このあばら家にハイヤーで乗りつけたのは、このときの先生たちだけであったから、近所でも評判になったが、それよりも借家住まいの私のところにはお客用の座布団がなかった。姉の家から借りてきたせんべいのような薄っぺらい木綿の座布団が五枚しかなかったので、どっちにしても足りない。幸い、庭づたいの母屋に住む大家さんの奥さんは親切な人だったので、「座布団貸していただけませんか」ときいたら、心よく貸してくれた。 もう一つ、この家にはまともな台所がなかった。母屋との間をつなぐ廊下を塞いで、臨時の台所がつくってあり、一段さがった土間の床におりて、二つのガスコンロと一つの七輸と向かいあって料理をするといったにわかづくりの台所である。しかも、そのとき、女房は妊娠八ヵ月目で、大きなおなかを抱えていた。いま考えてみると女房にもずいぶん苦労をかけたものであるが、これがのちに池島信平氏の命名した”邱飯店”の店びらきの初日であった。
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