まだ原稿がまったく売れなかった頃のことであるから、毎月『新潮』か『文学界』に原稿が載るようになれるといわれただけでも、私は天にものぼる気持であった。
病院に行くと、私はつい長っ尻になり、よく食事の時問まで坐り込んだ。私が帰りかけると、そこへまた坪井與さんや水田三郎さんたちが押しかけてきて、酒盛りをはじめる。坪井さんは東映のプロデューサーで、のちに東映専務をつとめた人である。
「ここは、シナ料理の出前しかなくてね。毎日、同じ料理だげど、食事をしていって下さい」

客の長っ尻など少しも気にせず、来る人、来る人に片っぱしから酒や料理を出す。二間つづきの病室で、入院費だってどれだけかかるかわからないのに、さすが流行作家ともなると豪勢なものだな、と私は半ば感心もし、半ば心配もしたが、檀さんは奥さんに命じてつぎつぎと出前が届けてきた料理を気前よく客の前に並べた。私も皆のおつきあいをしてご馳走になったが、
「うまいですか?」
ときかれて、嘘はつけなかったので、
「あまりうまいとはいえませんね」
すると、檀さんはニコニコして、
「ふだん、どんなものを食べているのですか?」
「僕は食事のうるさいうちに育ったものですから、口だけは奢っているんです、何しろ僕の家では、毎晩、食事に二時間はかかっていましたから」
私は少しばかり自分の生家の話をした。それから、自分の家で毎日、何を食べているかといったようなことも話した。
「すると、お料理は全部、奥さんがおやりになるのですか?」
「うちの女房はお嫁にくるまでは、飯の焚き方も知らなかったのですが、僕のところへきてから料理の仕方を覚えました。香港にいた時分、料理のできる女中さんがいたんですが、毎日、同じようなものを出すと、僕がハンガーストライキをやって、箸をつけなかったものですから、女房がびっくりして家へ帰って、あれこれ習ってきましてね。東京へきてからは、女中さんといっても、文字通りのお手伝いさんで、何ひとつできませんから、料理はすべて女房がやっています」
「奥さんの手料理、いっぺん食べてみたいですね」
「ええ、ぜひ。病気がなおったら、うちに来てください」
と私は誘った。

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