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43.空気を読みすぎるのも如何なものでしょう。。

北京の街はもうそろそろ紅葉の本格的な時期に入ります。
日中はぽかぽかと暖かい空模様ですが
朝夜は大分寒くなってきています。
いよいよ、冬支度の季節です。

さて、本日のタイトルですが、如何でしょうか?
いきなり疑問系で問いかけたので、
恐らくお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、
私なりの解釈で
このコラムでお伝えさせて頂きます。

どれ位前からでしょうか?
誰が発したのでしょうか?
なぜ、読めなければならないのでしょうか?
今では日本人で知らない人がいない程、定着してしまった
「空気を読む」という言葉。。。
私、実はあまり好きではありません、この言葉。
率直に言えば、読めすぎるが故にちょっとした
損をしていないでしょうか?
例えば、素晴らしいアイデアが生まれる時も、
ハッとした意見も、うーんなるほどなぁと唸る時も

お互いの考えを惜しみなく出し合ったときにこそ
初めて生まれる一つの答えなのにも関らず、
この「空気を読む」というたった一つの言葉で
自分が考えている事や、
実は言いたい言葉を押し殺してしまってはいないでしょうか?

一日のうち、人と話している時間は
人それぞれ違うと思いますが、多かれ少なかれ生きていく以上
人と話さなければ生きてはいけません。

その貴重な時間で、自分のやりたい事、やって貰いたい事
どうして欲しい、ああして欲しい、これはいい、これは悪い

とそれぞれのシーンに合う答えを
日常の中で自然と導き出しているはずですが、
ついうっかり空気を呼めてしまうがために
こう言いたいけど、ここは空気を呼んで言わない方がいい
こうして貰いたいけど、これは我慢するか。。
となってはいないでしょうか?

みなさん御存知かどうかわかりませんが、
中国人(ある一部)の方の中には話し声がやたら滅多大きい方、
たくさんある事例の中から、この電話をとってみても
空気を読めすぎる日本人と違った点があります。
ここに極端ではありますが、例を挙げてみます。

例:地下鉄で掛かってきた電話を受けるシーン

日本の場合:
 「あっはい。もしもし、ちょっと今電車ですので
  降りたら折り返しお電話致します」

と、口をふさいで自分の話し声が外に漏れないようにします。
これはこれで素晴らしいです。
さすがモラリスト大国のJAPANです。

中国の場合:
 「ウェイ(もしもし)ニーハオ(こんにちは)
  ゼンマラァ(どうした?)アー(えーっと)
  ネーガシーチン(あの件ね)」
と、周りに沢山の乗車客が居ても延々と話は続きます。
さほどお構いなし。

よく、中国人同士が話をしているのを聞くと、
喧嘩しているように聞こえる!だとか、
声が大きいといったような事を聞きますが、
これ、私には彼らの正当な自己主張方法だと思うんです。

自分の主張を伝える時は、小さな声で、相談するように。
ではなく大きな声で、
誰が聞いても、これは自分の意見だ!といえる事も
非常に大事な要素だと思うのです。

本当に中国の方は嫌な事は嫌とはっきり言ってくれます。
そして、違う事は、違うと言ってくれます。
その点は、私を含め
多く日本人が見習わないといけない点ではないだろうかと
考えています。

空気が読めるばっかりに、
自分自身の考えを押し殺してしまってはないだろうか?
と自問自答しながら
今後の生活にどのように生かすか考えている所です。


2008年11月5日(水) <<前へ  次へ>>