ケーキみたいなヤワなものでしか
創りあげられないものってあるんです。
例えば美味しいケーキ1つで女の子たちの休日が楽しくなったり、
ありきたりの誕生日会が盛り上がったりする事です。
こういう類の幸せというのは、
インフラ産業やハイテク産業のような
分りやすいパワーではないので軽くみられがちなのですが、
そうだからといってあなどれません。
私はちょっとした幸せ感というのも、
経済の成長に、非常に重要な役割を担うと信じております。
なぜなら、経済が成長するに応じて
人間の欲望というのは多様化するからです。
「人はパンのみにて生くるにあらず。
3日分パン我慢してもケーキも食べたいのよ」
というのが経済学の先生が教えない生の人間と思っています。
という事で、私も中国の成長の片棒を担ぐとはいきませんが、
その巨大な流れの小さなイチ当事者になりたいと、
日々あくせくやっております。
さて、私は2年前今思えば無謀にも、
成都に落下傘式にたどり着きました。
言葉も習慣もわからず、
「なんとかなるさ」という向こう見ずさだけでありました。
学生時代英語も全然通じないところに1人で行って、
旅行を楽しんできた自負がありましたので、
楽観というよりは、今思えば驕りです。
成都で私以外、社員が全員四川人という状況ができた時、
事の深刻さに気がついたのでした。
応援の日本語が話せる中国人が北京に帰ってから3日後には、
店員の女の子が2人同時に「今辞めます」と言ってきました。
まず「辞めたい」という事を理解するのに10分かかりました。
当然何で辞めたいか?
なんて理解できる訳もありません。
また、財務の女の子と意思疎通を図る事は困難を極めました。
ただ単に
「現在の会社の資金状況と、今後の支出予定を知りたい」
という事をどれだけ言っても理解してもらえません。
私は彼女に対して、
「こいつはとんでもないアホなんじゃないか?」
と思い心配になりました。
ちなみにアホなのは私で、彼女はまともであった事は
言葉ができるようになってから知ります。
また、私はケーキ作りにしても素人なので、
腕で信頼を勝ち取るなんて事もできません。
「材料の賞味期限を細かく管理せよ」
という指示を出したかったのですが、全然通じないので、
古いのか新しいのか、私からは判断できない材料を
全部彼らの前で「エイッ」とゴミ箱に捨てました。
これによって、彼らは「フザケルナ!」と団結して私に抗議し、
1人は私の胸ぐらを掴んできて一触即発でした。
このように、言葉がしゃべれない中で仕事をするのは大変な事です。
こういう経験から身に着けた語学を次回からはお伝えしていきます。
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