本日は、邱先生のお別れ会の日です。
実は、私は全然お別れする気がなかったりするのですが、
それは、精神の問題でありますから、
形式上はお別れ会が必要なのでしょうね。
ところで私は、墓参りによく行く方ですが、
それは、私にとって3つの意味があります。
1つは、まさに「先祖に挨拶に行く」ということ。
2つめは、「先祖と称して自分の気持ちと向き合いに行く」ということ。
結構、自分の近況報告だったり、
最近気になっていることを手を合わせながら
心のなかでつぶやくわけですが、
それは、まさに今の自分が興味や関心をもっていることにほかならず、
つまり自分の気持ちを整理しているだけなわけです。
3つめは、「まだ生きている親を安心させるため」です。
こう書きますと、ちょっと勘違いされそうですが、
その意味は、私が先祖に対して
しっかりと礼を尽くすことを見せることによって、
まだ生きている親が
「きっと私たちが死んだ後も、
こうして大事にしてくれるんだろうな。」
と安心してくれると信じているからです。
翻って、本日の先生のお別れ会は
先生最後のサービスだと私は考えています。
先生はこの世もあの世もなんとも思ってないわけですけど、
それじゃあ、あんまりドライで
残されたものの心の整理がつかんだろう。
じゃあ、お別れ会でもやって
ひとつみなさんの気持ちの整理のお手伝いでもしてあげましょうか。
てなもんだと思います。
生前、よく先生は「僕は死ぬことは怖くないの。」と言ってました。
僕は、先生の眼を見るにそれを本気でいっていたように思います。
そして、「僕のお別れ会はね、この曲をかけてね。」
なんてにっこり話していたぐらいです。
だから、
「今日のお別れ会は、あなたのためですよ。」
という言葉が私には聞こえてきます。
先生、ご希望通り、
楽しいパーティーになるように行ってまいります。
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