いや、そういうふう風にウィキペディアに書いてあったものだから、
タイトルに書きましたが、
「ほんとか?」と聞かれると自信があるわけではないので、ご勘弁を。
それによると、レストランが歴史的な記録に始めて登場するのが、
11世紀ごろ、中国の当時の首都である開封という街だそうです。
そんな歴史のある国でレストランをやれるのは、
大変光栄なのですが、その言葉を紐解くと、
フランス語の“restaurer”「回復させる」
という言葉が語源だそうです。
いやいや、今回は、レストランのうんちくを垂れるために
書いているわけではありません。
世の中で、これほどフードサービスが発展してくると、
本来のレストランという存在と現在の業態に距離がでてきます。
まさか、マクドナルドをレストランだと言う人はいないと思いますが、
それでも、そこでも飯が食えて、まあまあの環境があって、
多少なりともサービスがあるわけです。
それでも人がマクドナルドをレストランと呼ばないのは、
心の中にレストランのイメージがあるからです。
日本人にわかりやすく言うと、
(私風の理解ですが)レストランは「料理屋」です。
ですから、小規模でオーナーシェフがいて、
古き良き常連を大切にしながら、
新しい革新に常に挑戦している、そんな感じでしょうか。
こんな店をレストランと呼ぶのであれば、
いつかの本のタイトルのように
「レストランのなくなる日」という具合に
どんどんなくなっていってしまうように思います。
一方、私を含めてやっているのは、
広い意味でのフードサービスであって、
上記のちょっとセンチメンタルな定義におけるレストランでは、
厳密にはないように思います。
料理屋の合理化をどんどん進めていけば、
それは、すなわち食の工業化を意味し、
ますます料理屋から離れて行きます。
だって、天ぷらがベルトコンベヤーにのって
人間の手をほとんど介さずに丼になっちゃうんですよ。
これ、やっぱり工業ですよ。
翻って、食の工業化は社会の要請でもありますから、
私もどんどん合理化を考え突き進んでいきますが、
それだけではやっぱり何だか寂しい気もしますね。
料理屋は、やっぱり自分自信の魂のシンボルとして
一店舗はやっていたいものです。
ということで、次回は、
「閉めるために開けると言われてもやっぱり開けちゃう」
店舗展開の私なりの考え方を。
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