どれだけ人生で無駄をやってきたことやら。
無駄な人生を送ったのではありません。
人生において無駄と思われることを多くやっただけです。
結果の無駄とプロセスの無駄は意味が違います。
誰もが言うことなので面白くないかもしれませんが、
一見無駄と思われることが人生で意味を持つことや、
無駄の繰り返しが
最高に美しい作品や仕事を作り出すことは多々あります。
アップルのスティーブ・ジョブスが大学を中退して
カリグラフィーをやったことが
後のアップルの美しいフォントを作り出す基礎になった話は、
昨年か一昨年の
スタンフォード大学の卒業生に向けたスピーチの中で紹介され
世界を感動させましたが、
そこまで行かなくても私にも似たような経験はいっぱいあります。
1枚の資料を作るのに、10時間以上をかけたり、
何十枚もの資料を作り直したりしたことは何度もあります。
不思議なもので、山を登っている途中は
何から何まで無駄に思えるのですが、いったん頂上を覗くと、
無駄があってこそだとわかるものです。
中国に来て、特にたくさんの無駄をやりました。
でも、そういうものが人生の筋肉をつくりあげるんですね。
僕は、武田鉄也さんが昔言っていた言葉が好きで
「俺たちみたいに昔農作業で鍛えた体の筋肉ってのは、
やっぱりジムとかで作った体とは全然つくりが違うんだよね。
それはさぁ、米とか俵とかを1時間も運んでみれば
はっきりとその差が出てくるから。」
いや、俵を運べることが良いとか言ってるんじゃありません。
でも、苦しい時期が誰にもあって、
ほんとに先が見えないことがあると思うんですけど、
自分が決心してやっている無駄は、無駄な人生にはならずに、
人生における意味のある無駄であると思う、
ってことだけをなんか伝えたくなったんです。
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