最近、本田静六という人の本を読みました。
今回のタイトルは、この人の本の中にあった言葉です。
この人は、慶応2年(1866)生まれで東京帝大の教授でありながら、
同時に蓄財の神様と言われた人です。
この本には、たくさんの心に響く名言がちりばめられています。
少しだけご紹介すると
「金儲けは理屈ではなくて、実際である。
計画でなくて、努力である。
予算でなくて、結果である。
その秘伝はとなると、やっぱり根本的な心構えの問題となる。」
「金というのは重宝なものだ。
ところが、世の中には、往々間違った考えにとらわれて、
この人生にもっとも大切な金を
頭から否定してかかる手合いがある。」
そして、冒頭の
「人生の最大幸福は職業の道楽化にある。
富も、名誉も、美衣美食も、
職業の道楽の愉快さには比すべくもない。」
です。
私がこの職業の道楽化という境地に達するには
おそらくまだまだ時間がかかるに違いないと思っています。
言ってみれば、私はまだまだ、
自分の職業の中に、富や名誉、自尊心、欲、
といった雑念そしてこだわりをたくさん持っています。
日本を離れる際に、
こういった雑念からは少し離れたつもりではあったものの、
それでも、やっぱり
自分のまだ満たされぬ心の隙間をみつけるにつけ、
言ってみれば世俗的な欲が
むくむくと顔をみせるのを自分に感じざるを得ないのです。
私からみて、私の師匠である、邱先生は、
この職業の道楽化をいち早く達成しつつある人のように見えます。
まあ、50年も先を歩む師匠を捉えて、
今の自分の未熟さを嘆くのも
あまり意味のないことかもしれませんが。
誤解があるかも知れませんが、
道楽といっても、
これは遊んでいるということとは大きく異なります。
いや、厳密には遊びも真剣にやってこそ面白いわけですから、
道楽という意味と大きく変わらないかもしれませんが、
すべての道楽と遊びは、それに心から没頭してこそ面白いわけです。
そして、いくつになってもその結果には、一喜一憂するわけです。
今年の一番最後のコラムに今回の内容を選んだのは、
自分の心の雑念を意識しつつ、理想とする境地を確認し、
こだわりを捨てた生き方により近づけるよう
来年も仕事に精進したいなと思っているからです。
どこかの本に書いてありました。
「もしあんたの人生において、雲が陽の光をさえぎるとしたら、
それはあんたの魂が高みに達していないからだ。」
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