この原稿を書いているのは6月5日の夜になります。
今日は私が中国にきてちょうどまる3年立った記念の日です。
2005年6月5日、朝4:30に起きて成田に向かい、
成都についてその日も少し蒸し暑いような日でした。
空港では、当時成都にいた荒木さんが私を出迎えてくれました。
2008年6月5日、偶然にも私はまた、空港にいました。
でも今度は出迎えられる側ではなく、成都にこられる邱先生を待っていました。
ここでこれまで3年間なんどとなく、先生を迎えてきました。
ちょっと感傷的になりますが、区切りの3年目の今、
人生を支配するいろいろな偶然に思いをはせています。
私が、初めて「邱永漢」の3文字を目にしたのは、14歳のころ。
偶然、自宅の母のミシンの上においてあった「中国人と日本人」という本を目にし、
当時まだ邱先生の名前をどう読むのかもよくわからなかったことを
おぼろげながら覚えています。
過去30年間、一度も考えたことのなかった、ここ四川。
ところが、ふと自分が在日韓国人として生まれたことを思い出し、
自分の祖父母の韓国の故郷が、四川という地であることを思うと、
これもまた運命を感じる。
コーヒー事業の応援でなんどとなくいった昆明。
前述の韓国の祖父母の故郷"四川"という町が、
その大昔、昆明と呼ばれていたりする。
ここにもなんとなく不思議な縁を感じます。
なんかこじつけのように聞こえるかもしれませんが、
「人生におきる偶然を大切にしなさい。きっとそこには必ず意味があるから。」
という声がどこからか聞こえてきます。
私の短い人生の中でも、過去には偶然に思えたことが、
10年後になって、人生の必然であったことに気づくことがあるものです。
私が今、ここに四川にいる偶然を、
いつか人生の必然だったと感じることがきっとあるのでしょう。
今は、そんなことを寝る前にゆらゆらと考えながら、
「よし、まだまだ頑張ろう。」
と思っています。
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