不安な時期は7月24日に先生が再び成都に入るまでの間2ヶ月ほど続きました。
2005年7月24日、邱先生が成都に入られる直前に、
先生の長年の秘書でもあり、
数社の董事(役員)、総経理(社長)でもある羅さんが先に成都に入られました。
羅さんは、人に聞くところでは、非常に温和で楽しい人で、
とてもいい自由なビジネスアイディアを出す人だ、とウワサの人でした。
その羅さんが、成都の語学学校事業に興味をもたれているということで、
事前に市場調査をして、いくつか資料を作っておきました。
それをグループ事業の一つである、ボウリング場でコーヒーを飲みながら報告し、
ついでに私の身の上話などもしました。
そもそも私の過去を非常に簡単にかいつまんで言うと、
愛知県の岡崎で生まれ、大学まではずっと愛知県、
その後タイのバンコクの大学院に留学した後、韓国、中国と留学をし、日本に帰国。
半年間、無職同前(いわゆるフリーター)を過ごした後、
両親が始める焼肉レストランの店長を経験し、
思うところあり外資の戦略系コンサルティングファームに入った後、
邱先生と出会い中国に来た、という流れです。
なんとも、かいつまんでもつまみきれないようなキャリヤですが・・・。
地元で焼肉店をやったときは、週末はお客が2時間も並ぶような繁盛店で、
そんな話も羅さんに話していました。
空港に邱先生を迎えに行くと、羅さんが先に荷物受け取りカウンターまで入り込み、
なにやら先生と話をしていました。
成都で先生を出迎える側に回るのは初めての経験でしたので、
なんだか慣れない気持ちでいっぱいでした。
そして、先生がゲートを出てくるとにっこりいつもの最高の笑顔を浮かべながら
一人ひとり丁寧に握手をしていき、
私の番がくると「先生お久しぶりです。」という私の挨拶が終わる間もなく
「キム君、どうやら新しい考え方が必要なようだよ。」と一言話されたのです。
ただでさえホテルの話がなくなったことで混乱していたところに、
先生から「新しい考え方が必要だ。」と言われ、
私はますますわけがわからなくなってしまいました。
いろいろ考えるうちに、
「俺、何か悪いことしたかな?悪いことをしたから、その考え方を変えよと言っているのかな?」
とまで考えるようになったのでしばらく考えることをやめてしまいました。
その日、邱先生が成都で投資をしていた案件の1つである、
カー用品店を見に行きました。
その2階に当時自動車整備学校を作る予定の
800平米の広い空き地があったのですが、
その空間に差し掛かったとき、突如先生が私を呼びました。
「キム君、君ヤキニク屋できるの?」
「・・・。」
寝耳に水もいい所でした。
しかし、先生に焼肉屋ができるかと問われ、冷静に考えて、できなくもないな、と思い、
「ハイ、できると思います。」と答えた。
「じゃ、明日からやってみて。」
たった15秒ぐらいの会話でした。
「ホテルから焼肉?」
その後先生が「君、ここは800平米もあるけど大丈夫?」と聞かれたのですが、
当時まだ頭が商売人になっていなかった私は
800平米の大きさがどれくらいかもわからず、
自信ありげに「大丈夫だと思います。」と答えましたのでした。
これが新たな苦しみのはじまりになるとはまだ知らずに・・・。
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