先生と東京で出会い、一度ご自宅で食事をいただいた後、
次にお会いしたのは香港の空港でした。
東京事務所での約束どおり日程を調整し、
結局2月28日に香港空港の待ち合いロビーでお会いしました。
その後、飛行機で雲南省昆明市に降り立ち、
そこから2日間コーヒー事業を視察させていただくことになりました。
現地ですでに1年以上も孤軍奮闘を続ける村田さんに初めて会い、
いろいろな話を聞くうちに、このコーヒー事業にも大いなる可能性を感じたのと同時に、
「しかし、事業として完成させるには、まだ多くの課題がある。」と感じたのでした。
そもそも、私は旅に出かける前から1つの目標を立てていました。
先にも話した通り、私はコンサルティング会社に勤めておりましたから、
提案をしたり、そのための資料をつくったりすることが私の武器でした。
ですから、「旅の間に私の価値を先生に感じてもらうために何らかの事業提案を行う。」
というのが私の旅のテーマでした。
早くもそのチャンスは昆明で訪れたのです。
その匂いを嗅ぎ取った私は、
早速なるべく自然な形で村田さんに質問攻撃を行い、
事業の全体像、目下の課題、解決・提案の方向性を探りました。
その日の夜に泊まったのは、昆明きっての最高級5つ星ホテルの翠湖賓館でした。
目の前に美しい湖をのぞむホテルで、
朝から夕方までコーヒー事業に関する先生のお話、
そして、おいしい食事をご馳走になった後、夜10時前でしょうか、
先生と「では明日8時半にロビーで。」と別れ部屋に帰った私は、
自分に「勝負!」と気合をいれ、
1日半かけて見聞きした内容を資料にまとめ提案書をつくりはじめました。
私にとっては自分の人生をかけた提案書ですから、
眠くなると机に3分ぐらいうつぶせになり、また起きては資料を作り続け、
とうとう朝の8時を迎えてしまいました。
その時点でまだ自分で納得いくレベルに達していなかった私は迷いました。
「先生との約束はたとえ朝ごはんの時間という小さなことであっても破るわけにはいかない。
でも、このレベルでは先生に見せたくない。」
じっと考えました。そして部屋の電話をとり、
先生の部屋に電話をかけると出たのは村田さんでした。
「村田さん、私どうしてもやることがあるので、朝食はとれませんと先生にお伝えください。」
たいしたことではないと思われるかもしれませんが、
私にとっては賭けのようなものでした。
まだ旅がはじまったばかりの段階で先生の心象を悪くしたくなかったからです。
でも私は、思ったのです。
「自分が納得いくものができたら、きっと先生も反応してくださる。
朝めし一回をスキップしたぐらいのことより、その資料の意味を見抜いてくださるだろう。」と。
果たして資料が出来上がったのが10時過ぎでした。
そのままビジネスセンターに駆け込み20ページに渡る資料を3部印刷し、
ロビーに座りコーヒーを飲む先生とコーヒー事業の担当者の村田さんに資料を渡したとき、
私は寝巻き代わりのジーンズを着て
徹夜明けの青白い顔にぼさぼさに乱れた髪でロビーにたっていました。
丁寧に心をこめて資料を先生に渡すと、部屋に戻ってシャワーを浴び、
すっかり明るくなった部屋の中心にあるベッドをみて、思わず笑いがこみ上げてきました。
「1万円もはらったのに、結局ベッドのシーツを一回もめくらなかったな。」
その日の午後、昆明から成都に飛びました。
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