第1510回
中国の駆け込み寺・アメリカ大使館
最近、アメリカ大使館が駆け込み寺と化しています。
今年2月には、重慶市の薄熙来元党委書記に
殺されそうになった王立軍元副市長が、
成都のアメリカ総領事館に駆け込み、
九死に一生を得ました。
また、先月には当局から迫害を受けていた
盲目の人権活動家・陳光誠氏が、
厳しい監視の目をかいくぐって、
北京のアメリカ大使館に駆け込みました。
なぜ駆け込み先は決まってアメリカ大使館なのか?
それは世界で中国政府に真っ向からものを言える国が、
既にアメリカしかなくなってしまったから
なのではないかと思います。
現時点ではアメリカは、経済力、軍事力において、
まだまだ中国をはるかに上回っています。
いつもは強気の中国政府も、
アメリカとの関係においては、
極力ことを荒立てないように
細心の注意を払っていることが見て取れます。
このため、駆け込む人は
「アメリカ大使館に駆け込めば、
中国政府もあまり無茶なことはできない」
と考えているのではないでしょうか。
一方の日本大使館。
日本大使館には10年前、
2002年に脱北者5人が瀋陽の総領事館に駆け込んだ際に、
治外法権が認められているにも関わらず
総領事館敷地内への武装警察官の侵入を許し、
5人を武装警察に引き渡し、
さらにご丁寧にも、
武装警察官が落とした帽子を拾ってあげた、
という「前科」があります。
駆け込む人たちは、
大使館や領事館の敷地内は治外法権が認められており、
中国の官憲の手が及ばないからこそ駆け込むのに、
武装警察が自由に出入りできるのでは、
「駆け込み寺」の意味を成しません。
こうした領事館の対応の根底には
「中国政府との間で、ことを荒立てたくない」
という気持ちがあったものと思われます。
しかし、実際にはこちらが弱気になればなるほど、
中国政府は居丈高な態度に出ることが多いですので、
国際法に基づき正々堂々と
武装警察官の総領事館敷地内への侵入を断り、
5人を引き渡すこともしない、
というのが正しい対応だったように思います。
国家として毅然とした態度を取ることは
どんな国にとっても重要ですが、
その背景にはそれを担保する国力がなければなりません。
日本政府が
「中国政府との間で、ことを荒立てたくない」
と思うのではなくて、
中国政府に
「日本政府との間で、ことを荒立てたくない」
と思わせなければいけないのです。
今後、労働力人口の減少によって
国力の低下が懸念される日本ですが、
様々な方法で国力を増強し、
中国政府に対する発言力を向上させ、
日本大使館がアメリカ大使館同様、
「駆け込み寺」として頼られるぐらいの存在に
ならなければいけないな、と思いました。
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