第934回
政治の話題と行政の話題

日本では会社の人や取引先と食事をしているときに、
政治の話が話題に上ることがありますが、
中国ではそういうことはほとんどありません。
なぜなら、自分ではどうすることもできないことについて話しても、
何の得にもならないからです。

私が初めて中国に来たのは1991年。
当時は1989年の天安門事件から2年しか経っておらず、
まだまだ中国共産党の恐怖政治のイメージが強い頃でした。

社会人3年生、25歳の私は、
共産党一党独裁という特異な政治体制を持つ中国という国で、
その国民は政治について本当はどう考えているのか
ということに興味津々でした。
このため、丸紅北京支店の中国人スタッフや
取引先の人と食事をするたびに
「民主主義についてどう思うか」、
「共産党一党独裁体制に不満はないか」、
「選挙権が欲しいとは思わないか」
などと彼らを質問攻めにしていました。

しかし、彼らから返ってくる答えは何だか的を射ない、
「どうでもよい」という感じの回答ばかりでした。
当時の私は「これは共産党のスパイが
どこで盗聴しているか分からないので、
彼らは思っていることを言えず、
質問をのらりくらりとかわしているのに違いない」
と思っていたのですが、
盗聴が非日常的なものとなった現在においても、
多くの中国の人たちの政治に対する考え方が
「どうでもよい」であることを考えると、
1991年当時の彼らも本当に政治なんか
「どうでもよい」と考えていたのかもしれません。

政治には全く興味を示さない中国の人たちですが、
自分の利害に直結する行政には強烈な興味を示します。
食事の場でも、新しく施行された
法律や条令についての情報交換は頻繁になされます。

法律や条令が決定されるプロセスについては、
ああだこうだ言っても自分ではどうすることもできませんので
全く興味はないですが、
そのプロセスを経て決定された法律や条令自体は、
自分の生活や仕事に直接影響を与えますので、
いろいろな人と情報交換をして実態を正確に把握し、
それにどう対処するか対策を考えるのです。

「上に政策あれば、下に対策あり」。
何千年もの間、専制体制が続いている中国では、
多くの人々には政治のプロセスを
根底から変えようなどという発想はなく、
お上が決めた政策の範囲内で
いかにうまく立ち回るか対策を立てる、
という遺伝子が埋め込まれているのかもしれません。


←前回記事へ

2008年10月8日(水)

次回記事へ→
過去記事へ
ホーム
最新記事へ