第206回
「大連ウォーカー」

私が北京に駐在したばかりの1996年、
大連に出張する機会がありました。
その際、フラマーホテルに泊まったのですが、
ホテルのロビーに「大連ウォーカー」という
無料の日本語情報誌が置いてあり、大変驚きました。

当時の北京は日本料理店や日本人相手のスナックも少なく、
日本語情報誌など全くありませんでした。
日本人の間の情報は、全て口コミで広がっていました。
中国の首都であり、
日本人もたくさんいるはずの北京がこんななのに、
一地方都市である大連に日本語情報誌がある事自体、
私にとっては衝撃でした。

その「大連ウォーカー」の中身を見て、更に驚きました。
北京よりずっとたくさんの日本料理屋や
日本人相手のスナックの広告が掲載されていたのです。
中には「セーラー服パブ」の広告、なんていうのもあり、
良い悪いは別にして、日本人向けサービス、という面では、
北京より大連の方がはるかに進んでいるなぁ、と思いました。

今から考えてみれば、
当時は急激な円高に悲鳴を上げた日本のメーカーが、
どんどん海外に工場を移転している時期でした。
大連は市場としての魅力はありませんが、
安い労働力と日本語を話せる中国人人材の豊富さ、という点から、
工場の移転先として注目され、
郊外に作られた開発区に多くの日本企業が工場を建設、
それに伴いたくさんの日本人が大連に駐在したのでした。

それにしても、大連に駐在する日本人の増加と、
その日本人をターゲットとするサービスの増加を見て、
そうしたサービス業からの広告料を収入源とする
無料の日本語情報誌を発行してしまう、
というのは大した商才です。

この日本語情報誌、どこか、日本の大手出版社が
大連に進出して出しているのかと思いきや、
なんと!大西さんという個人が
1人で立ち上げた会社が発行しているのでした。

すごい事をする人がいるもんだなぁ、と思っていましたが、
その後、北京に拠点を移した大西さんにお会いする事が出来るとは、
その当時は夢にも思っていなかった私でありました。


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