第58回
引越事業開始

そんな出口の見えないトンネルの中を走る様な毎日を過ごし、
開業して半年を迎えようとしていた
ある日曜日の夜、
丸紅北京支店時代の部下である李さんという男性から、
すぐに会って話したい事がある、と突然電話がありました。
自宅の近所のホテルのカフェで待ち合わせた所、
李さんは奥さんの劉さんと一緒に来ました。

劉さんは日本企業と現地企業が
合弁で作った物流会社で働いている、との事でした。
この物流会社はヤマト運輸海外引越サービスの
北京の代理店に指定されており、
劉さんはこの海外引越の仕事をしているが、
今回、この物流会社が合弁解消で無くなるので、
ヤマト運輸は新しい代理店を探す必要がある。
ヤマト運輸としては、
信頼を寄せている劉さんにこの仕事を託したいのだが、
ヤマト運輸の海外引越は
「海外でも日本人が対応するので、安心です」
という事を謳い文句にしているので、
日本人を用意出来たら、劉さんに北京の代理店を任せる、
という話でした。

私は劉さんと一緒に海外引越の仕事をする事を即決し、
その週の金曜日には、
ヤマト運輸の中国事業を統括する
ヤマト運輸上海事務所の松田所長の所に挨拶に行きました。
会社の法人代表は田さんから劉さんに変更し、
事実上の会社の権益も劉さんに半分買ってもらう事にしました。
こうして、2002年5月の
ゴールデンウィーク(中国では労働節)明けから
引越の仕事を本格的に開始しました。
その後、ヤマト運輸のネームバリューもあり、
引越の仕事は順調に伸び、
現在では、当社の利益の約7割は
引越事業からのものになっています。

不思議なもので、引越事業がうまく行き始めると、
元々の駐在員事務所代行事業の方も良いお客さんが付き始めました。
こういう経験をすると、
世の中、人の力ではいくらあがいてもどうにもならない、
運気の様なものが存在している事を強く感じます。
だめな時は何をやってもだめですし、
乗っている時には、何もしなくても
良い話が向こうからやってくるものです。

現在、定期的に当社の駐在員事務所代行サービスを
お使い頂いている日本企業各社は、
皆さん当社のサービスの価値を良くご理解頂いており、
非常に気持ちよくお仕事をさせて頂いています。
こうした皆さんにめぐり合えた事は、大変幸せな事です。
これに就いても「運」とか「縁」とか言うものの存在を
感じざるを得ません。


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