第1回
私自身のプロフィール その1

私の名前は、永嶋万州彦(ながしま・ますひこ)と云います。
父56歳の時に生まれました。
易を得意として“万州彦”(世界の男)という
身にあまる名前をつけてくれました。
時に昭和18年、太平洋戦争さなかの東京の品川生まれです。
現在59歳、この創業大学に籍を置くライターの内で
おそらく最年長に属します。

鉄道少年だった男の子は大変な数でしょうが、
趣味を仕事にしようとする人は大幅に減ります。
しかし私はそれを仕事にしようとしたのです。
15才で高校を鉄道学校で
有名(選抜高校野球で東京代表で初出場、初優勝・・・
あの桑田、清原がいたPL学園に勝った)
岩倉高校に入学したのです。
順調に山手線という進路を採れば、
鉄道関係かトラベルエージェントの会社に勤め、
来年は定年を迎え無事鉄道おじさんで終わったものが、
たまたまアルバイトで働いた駅の事務室で焼いていた
魚の干物のにおいに夢を破られ、
やはり趣味を仕事にしてはいけない。
趣味は趣味として別の仕事を探そう。
生意気な坊主頭の少年はそう思ってしまいました。

訳あって高校を5年かかった20歳の時、
大学に行くと決めたある日、病院の副院長から
「永嶋君、会社に勤めるより
何か自分一人で出来る仕事を身につけなさい。」
という選択をもらってしまったのです。
「先生学校の成績が悪いのでしょうか」
と聞こうと思ったのですが、
病院の先生が私の悪い成績を知る由もありません。
その本当の理由は私の身体のせいだったのです。

先程高校を5年といいましたが、
肋膜炎という胸の病気で高校を2年休学していたからです。
現在身長180cm 体重200ポンドの私は
あばらの骨が見える程やせていたのです。
山手線は一遍にしてミステリー列車になりました。

カフェの歴史

§サテンの時代         1979年§
カフェソサイアティとしての黎明期、冷暖房完備、喫茶店は生活の主な舞台

§カフェバーの時代       1981年§
ニューヨークの倉庫街ソーホーのアーチストカフェ、金銀モノトーン、背伸びした若者

§喫茶店受難の時代       1983年§
待ち合わせの場所、次にどこへ行くか相談する場所

§ドトールコーヒーの時代    1985年§
ちょっとあいた時間の暇つぶし、ビジネスマンのオアシス

§アフタヌーンティーの時代     1988年§
ぬくもののあるパイン材の世界、
ミルクティー色の大きなテーブルや食器戸棚、持ち手のないカフェボール


§オープンエアの時代       1991年§
パリさながらのヨーロピアンカフェ、テラス席の劇場性、見られることのうれしさ

§スターバックスの時代      1996年§
カプチーノやラテなどエスプレッソベースのドリンク、全席禁煙、女性もコーヒー

§ニューヨーク・デリカフェの時代 1998年§
前菜、メイン、デザート、ドリンク、アルコール全ての利用動機に対応するグローバルカフェ

§癒し系カフェの時代       2000年§
カフェごはん、店主の個性、ソファー

※資料出典 「東京カフェマニア」 著者:川口葉子 出版社:情報センター出版局

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