第80回
ブランドケーエイ学30:よいコピー。

ここに、個装され箱詰めされた、贈答用のお菓子「手づくりケーキ」があるとしよう。このお菓子に、次のようなキャッチフレーズが書いてあるとして、それはよい広告か悪い広告か、考えてもらいたい。
「北海道でとれた良質な素材をつかって、まごころこめて作りました。とってもおいしいケーキです。」
ま、どうでもよいコピーだし、あんまり気にならないというのが、正直なところだろうか?
わが社の基準で考えると、これは悪い広告の典型例ということになる。さて、どこが悪いか。

ことばの表現には、(1)事実と(2)解釈と(3)評価の3つのレベルがある。たとえば、近所の奥さんが「最近うちのダンナは、ぜんぜん私のことをかまってくれない。もう愛がさめちゃったのね。一生大事にするって言ってたくせに、彼はウソツキで、けちんぼだわ!」と言ったとする。
この場合、「夫が最近かまわなくなった」が事実で、「愛がなくなった」は事実の解釈(意味づけ)になる。そして「ウソツキ、けちんぼ」が評価である。
これだけを聞いて、この奥さんに離婚しろとか我慢しろとかアドバイスできるだろうか? もちろん何かを判断するには、事実が足りなすぎる。

情報とは、第一に事実にある。解釈や評価をいくら並べられても、なかなか説得された感じにならない。ジャーナリズムでは、事実がいちばん大切だ。二流のジャーナリズムは取材をさぼり、事実が少ないぶんを解釈と評価で補う。
広告の基本も、ジャーナリズムと同じである。よい広告は、事実を訴える。さえない広告は、事実が少ないぶん、解釈と評価でスペースを埋める。

例題にもどると、このコピーには「北海道でとれた」ことしか事実がない。「良質な素材」は評価であり、「まごころをこめた」は解釈だ。文字量は多いのに情報量が乏しく、作り手の商品理解が足りないことを示している。
さらに致命的なのは、誠実さである。工場で機械的につくったお菓子であることが明らかなのに「手づくり」とか「まごころ」などと言っても信憑性がない。これではいちばん肝心な「おいしい」という評価も、信じてもらえないだろう。
ちまたには、このような、さえない広告コピーがあふれている。それだけ、ブランドを確立させることのできる会社が、まれなのである。


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