第49回
ブランドケーエイ学16: 地方は、なんでも屋さん。

クロサワ、浮世絵、田中さん。いずれも外国で評価されたものばかり。日本人には評価能力がないとよく言われるが、さてどうだろう。

スイスイ社の事業は、妻のイラストを売ることからはじめたわけだが、ぼくなりに戦略はたてていた。イラストは、イメージ商品の典型例みたいなものだ。
ぼくの観察では、誰でも、身近な人の才能はなかなか認めづらいものである。才能とは、つねに遠くの人が持っているものだ。
そうであれば身近な人に絵を売ることは難しい。好きにはなってくれても、経済的には評価できないのが普通だ。むしろ外国で評価されることが、一番近道だろう、と。

といっても外国にでかける度胸もなかったから、まず東京で売ろうと考えた。
東京で使われれば、地方で売りやすくなるだろう、という計算だった。
そこで、東京のデザイナーや雑誌編集者のところに出かけ、絵をみてもらうことにした。そのときある人に言われた、忘れられない言葉がある。
「ああ・・・地方の人は、こうなっちゃうんだよネ・・・・」

わが社のイラストは、93年ころからコンピュータで直接描いており、その表現はかなり独特のものだった。しかし画家は誰でもそうだが、タッチの面でもモチーフの面でも表現に幅があり、いろいろな絵が描けるものだ。ぼくらは、タッチをそろえて一連の絵を見せたつもりだったが、モチーフにおいてはシャープなものから、ややホンワカしたものまでバリエーションがあった。

彼いわく、「東京だと、個性をとがらせて、私はこのタイプの絵しか描きません、ということで勝負できる。しかし地方の人は、どんな仕事にも応じられるように、いろんなタイプの絵を描くようになり、その結果個性が見えなくなる」という。悔しい評価だったけれど、一理あった。

いまは、他人の絵を評価する立場になったりもするが、同じことを思うことがある。
たしかに絵の上手な人などいくらでもいる。新しい人は、その人にしか描けない絵で、勝負するほかない。
仕事が欲しいばかりに、「なんでもできます」みたいなことを言ってたら、人の記憶に残ることはできないのである。


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