第47回
組織ケーエイ学21: ユーモアがほしい。

こういうものが、ぼくにもあったらいいのに、と思うものはいくつもある。
一つは、顔のツヤだ。邱永漢さんが金儲けの話をしてるコラムに、邱さんの写真が張りついているとする。丸顔でツヤのある顔をされていて、お金儲けがうまいというイメージによくあっている。おいしいものをいっぱい食べていそうで、幸せそうでもある。
やはりネアカにみえる顔をもっている人は、とくだ。笑顔にシアワセがついてくる、感じがする。言ってることにも説得力ができる。

残念ながら、ぼくは痩せていて、顔色もやや青く、かさついている。ヒゲをきれいに剃っても、夕方にはのびてくるタイプで、どうしてもビンボーくさい。めんどくさくて、結婚してからはヒゲを剃らないことにした。
ぼく自身はネアカでもネクラでもないと思うが、まず、ネアカ・天真爛漫なタイプには見えないだろう。
丸くてツヤのある顔をもっている人はうらやましい。リーダーシップをとる上でも、1歩も2歩も先に行ける感じと思う。ぼくだって、明るいリーダーについていきたい。

もう一つの欲しいものが、ユーモアのセンスだ。
子どもの頃は、確かにほがらかな方でクラスの人気者であったはずだが、いつのまにか、そういう要素を忘れてきてしまった。いったいどこをどうそれてしまったのか、いまではほとんど冗談もいわずに、なにか噛みつぶしているような顔をしている。
わが事務所では、ほとんど無駄グチさえ聞くことがなく、非常に静かな事務所だ。
アメリカ映画などを観ると、ユーモアのセンスが尊重される社会というのか、どんな場面でもユーモアを失わない人がよい人として描かれている。ホントに、そうであったら素晴らしいのに。

ところが、現実は、ダジャレもでてこない生活だ。
それでもアウトプットにはユーモアを入れ込んだりしているから、われながら不思議に思うことがある。
こういうふうであったら面白いのになあ・・・ということを真剣に考えていて、それを実現しようとがんばってはいるのだが、とてもそのプロセスに、ユーモアのはいる余裕がないのだ。


←前回記事へ 2002年11月8日(金) 次回記事へ→
過去記事へ
ホーム
最新記事へ