第1943回
さらに帯津さんの「いのちの手帖」巻頭言
この年末に帯津良一医師による
スピリチャルな新刊本が次々と出ているが、
僕たちが出版している「いのちの手帖」にも、
毎号、巻頭言に寄稿エッセイが載っているので
合わせて読んで、この長寿難病時代の生老病死を考え、
自分の納得いく「いのち哲学」「人生設計」をしていこう、
という話の続きです。
これまでに「いのちの手帖」の巻頭言に寄稿していただいた
帯津さんのスピリチャル・エッセイのタイトルは
以下のようなものです。
●「いのちの手帖」創刊号=「創刊の辞 いのちの時代へ」
●「いのちの手帖」第2号=「大いなるいのち 草原の輝き」
●「いのちの手帖」第3号=「文豪・夏目漱石の死生観」
●「いのちの手帖」第4号=「養生の達人・五木寛之さん」
前回に続いて、第2号のエッセイを紹介しましょう。
きっと、心が洗われてすがすがしい気持ちになります。
*
玄関で多勢の人々の歓迎を受けると
いきなり病棟の
カンファレンスルームのようなところに案内される。
そこには院長以下病院のスタッフに加えて
盟の衛生部長までがすでに詰めている。
挨拶の応酬のあと、すぐに担当医が
食道がんの患者のデータの説明に入ろうとするので、
それを妨(さえ)ぎって、
「ちょっと待って下さい。
私が執刀するわけにはいきません。
なぜかというと、
手術の翌々日にはハイラルを去らなければなりません。
術後の管理が出来ません。
術後の管理に携われない者が
手術の執刀をするわけにはいかないのです」
術後の管理は俺たちがしっかりやるから心配するなという。
そういうものではない、
手術と術後の管理は2つでワンセットなのだと説明するも
わかってもらえない。
さらにホロンバイル盟中の外科医が全員、
見学のために集まってくるので
今更中止するわけにはいかないという。
一向に埒が明かないので
懸案事項にしてその日の日程をこなしていくも
私の心は晴れ晴れしない。
実に切ない一日だった。
翌日の昼食は盟の党書記の李興堂(りこうどう)氏の招待である。
これは大物だ。
執刀の件について彼の裁定を仰ぐことになった。
決断は早かった。
帯津先生の方が正しい。
君たちも大いに見習うべきであると。
まさに鶴の一声。
ウインダライ外科部長が執刀。
私が第一助手で手術。
初対面の上に言葉が通じない。
にもかかわらず
呼吸はぴたりと合ったのである。
実にいい手術だった。
彼も外科医。
私の心情を高く評価してくれたに違いない。
それから刎頚の交わりを結ぶことになる。
翌々日は数台のジープに分乗して草原に出た。
街を出るとすぐ草原である。
行けども行けども草原である。
真夏の太陽の下、音もなくゆらゆらと眠る草原に
一回で魅せられてしまったのである。
この魅力はどこから来るのか。
そうだ! 虚空の魅力なのだ。
草原はわれらがふるさと虚空なのだ。
ここにはいのちのエネルギーが満ちみちている。
それからである。私の草原詣でが始まったのは。
いつでもウインダライ先生と、
その弟子でいまでは盟政府の要職にある
孟松林(もうしょうりん)先生が私を温かく迎えてくれる。
草原の友情は永遠なのだ。草原はさまざまな表情を見せる。
そぼ降る雨に煙る草原、真紅の夕焼けに燃える草原、
満天の星空の草原、どれもこれもすばらしい。
草原の日の出を見ようと彼らといっしょに
包(ぱお)に泊り込んだことがある。
午前三時頃から日の出を待った。
東の地平線に太陽が顔を出した。
光の圧力に吹き飛ばされそうだ。
そして世界が黄金色になる。
見渡すかぎりの草原が喜びに躍動しているではないか。
天行健(てんこうけん)なりという言葉が浮かんだ。
そして、人間の計らいの
いかに小さきかを思い知らされたのである。
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