| 第1842回食育の原点は石塚左玄にあり
 「いのちの手帖」の創刊号以来、毎号、闘病と回復の様子を同時進行で寄稿していただいてきた、
 日本CI協会の元専務理事・花井陽光さんが
 いま発売中の「いのちの手帖」第4号にも
 「運命を変えた白血病(4)
 骨髄移植後1年が無事に過ぎました」と題した
 闘病エッセイを元気に送ってきてくれたという話の続きです。
 
 花井さんは慎重に闘病を続けながら、
 つぎつぎと新しい仕事を始めていますが、
 そのひとつが、関西のマクロビオティックの有力組織である
 正食協会の月刊誌「むすび」※1 の連載執筆です。
 いま発売の「むすび」9月号には、
 「幕末・維新を駆け抜けた食育の祖――
 石塚左玄の実像」と題するテーマで、
 いまから100年以上前に、
 玄米食の優位を主張し、日本の食育を提唱した、
 明治の食の先駆者である
 医師・石塚左玄を故郷・福井に取材したものです。
 「いのちの手帖」の闘病記も読んでいただきたいのですが、「むすび」の方もぜひ読んでみてください。
 ちなみに、少しさわりを紹介しておきます。
         * 「食育の原点は石塚左玄にあり」とは食育を学ぶものにとってはよく知られています。
 「食育」は明治31年(1898年)に刊行された左玄の著書
 「通俗食物養生法―食養体心論」の記述、
 「今日、学童を持つ人は、
 体育も知育も才育もすべて食育にあると認識すべき」と
 初めて使われました。
 
 平成16年(2004年)6月、内閣府は
 「食育基本法」を成立させました。
 食育による心身の健康増進を国民運動として取り組む
 市制を内閣府は見せたのです。
 
 一方でお米の減反や過疎地域の増加、
 食料自給率の低迷による食の輸入依存度の上昇など
 方針の矛盾も明らかになっています。
 喜劇のように見えた食育行政ですが、
 今年(2007年)5月28日付中日新聞に
 「おやっ」という記事が掲載されました。
 
 第2回食育推進全国大会の記事ですが
 そこに「食育のルーツ 福井発信」
 「官主導 食糧政策とちぐはぐの声も」と題し、
 食育の生みの親は石塚左玄であると宣言した内容で、
 一物全体、身土不二の原則もされていました(以下略)
 
 *
 
 以下、この大会の企画担当者の
 岩佐勢一さん(JA福井県厚生連理事)らの考え方を聞き、
 まさにマクロビオティックの始祖とも言うべき、
 幕末明治の軍医であった
 石塚左玄の人となりを取材した花井さんらしい面白い記事です。
 
 花井さんは、毎号連載を続けるそうで、
 続く「むすび」10月号には
 「骨髄移植は間違っていたのでしょうか」というテーマで、
 西洋医学と自然療法の選択について、問題を提起するそうです。
 
 ガンは治療の問題であると共に、
 それからの人生設計をどうするか?という
 切実な課題を投げつけます。
 ぜひ、花井さんの闘病記だけでなく、
 人生設計の考え方も読んで見て下さい。
 ※1 http://www.macrobiotic.gr.jp/musubi/contents/index.html
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