元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1799回
3つの「攻めの養生法」

「これまでの養生は、身体が対象であった。
病を未然に防ぎ、天寿をまっとうするといった、
やや消極的で守りの養生であった。
しかも、死をもって終われりである。
これからの養生はちがう。
日々、命の場のエネルギーを高め続け、
死ぬ日を最高にもっていくのだ。
積極的で攻めの養生である」

コレを持論とする、僕の主治医で
ホリスティック医学の草分けである、
帯津良一先生が、「本の窓」という雑誌で
分かりやすく解説した
『ホリスティックケアのすすめ』と題する
エッセイの紹介の続きです。

         *

生命の躍動とは生命の爆発。
これこそ養生の要諦です。
現在地に安住することなく、
日々の向上を果たしていくとしても、
常に一定の速度で向上していくわけではありません。
時々、生命場が小爆発を起こして、
生命のエネルギーがぽんと励起しながら
向上していくのではないでしょうか。

さらに、ベルクソンは「哲学的直感」という文章のなかで、
生命の躍動の次の瞬間、
私たちは歓喜に包まれるといいます。
歓喜とは喜び、
これこそ養生の局地ではないでしょうか。

要諦と極地、すなわち生命の躍動と歓喜をキーワードに
養生の実際について考えてみたいと思います。

まずはこころの養生。
がん治療の長い経験のなかで、
生きることの本質は哀しみであると悟りました。
人は決して明るく前向きにはできていません。
明るく前向きは世を忍ぶ仮の姿なのです。
その証拠に、明るく前向きは、
たった一言で、がらがらと音を立てて崩れ落ちます。

反対に苦しみの大地は磐石です。
これ以上崩れ落ちることはありません。
私たちは、この磐石の大地に希望の種子を蒔きます。
絶対に崩れ落ちない大地ですから、
種子はかならず芽を出し、やがて花を咲かせるでしょう。

花が咲けばこころがときめきます。
このこころのときめきこそ
ベルクソンの歓喜にほかなりません。
こころがときめけば、
人は放っておいても明るく前向きになります。
この明るく前向きの状態は悲しみから出発しているだけに、
それほど脆くはありません。
しかも有頂天になって、いつまでも明るくしていないで
哀しみに帰ってきます。
こうして哀しみ→希望→ときめき→
明るく前向き→哀しみといった心の循環が出来上がります。
この循環が一回りしていくたびに養生の道を
一歩向上していくのではないでしょうか。
大事なのはこのこころのときめきです・

      *

帯津式「攻めの養生法」の第一の原則は。
「こころの養生」にありということです。
それでは、第2、第3の攻めの養生法は何か?
続きは、また明日。


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2007年7月31日(火)

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