元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1745回
世界初の胃ガン手術

18世紀末から19世紀末にかけての医学都市ウイーンとは
まさに近代医学への生みの苦しみの時代だった――、
「中世魔術医学」と
「近代解剖医学」の錯綜する混沌の100年だった――、
その歴史を証明する、ウイーン医学の「ふしぎ三角地帯」=
3つのおどろおどろしい博物館を訪ねた話の続きです。

ウイーン大学は、まさにハプスブルグ家の栄華と共に勃興した
医学の本拠、これまでにノーベル賞受賞者を10人以上も出した
ドイツ語圏最古・最大の名門大学です。
世界で初めて胃切除術を成功させた
大外科医・テオドール・ビルロートが働いていました。
構内にはビルロートを記念する銅像が建っていますが、
1881年1月29日、43歳の女性胃ガン患者の手術を執刀。
ガンの進行が早く、女性は手術後4ヶ月後に死亡したが、
その間、経口摂取できるまでの回復をみせたといいます。
このときの残胃と十二指腸の吻合法を改良したものが、
現在も「ビルロートI法」として伝わっていることは有名です。
しかし、その近代医学達成に至る途中には、
いわば「魔術」と「医術」の100年にわたる壮烈な戦いがあり、
以下が、その歴史の滓(おり)を今に残す
数奇な3つの博物館というわけです。

●医学史博物館ヨゼフィーヌム (Josephinum.)
●病理・解剖学博物館(Pathologisch-Anatomisches
 Bundesmuseum )
●フロイト博物館(Siegmund-Freud-Museum)

大学の後ろの広大な総合病院界隈に
僕の興味を引いた、ウイーン医学の「ふしぎ三角地帯」=
3つのおどろおどろしい博物館があります。

●医学史博物館ヨゼフィーヌム (Josephinum.)=
18世紀末、1785年、女帝マリア・テレジアの子、
ヨーゼフ2世によって建てられた陸軍の軍医養成学校。
ヨーゼフ2世は啓蒙専制君主と呼ばれ、
「君主とは国家第一の僕である」と称して、
国民教育の「道徳的機関」として国民劇場を作るなど、
オーストリア帝国の安定期を作った開明皇帝として有名です。
博物館内には飴色の蝋細工の人体解剖模型がぎっしりと並んで、
一種異様な雰囲気に圧倒されます。
これらの数奇なコレクションも
啓蒙的な医学教育を目的に創設されたといいます。

●病理・解剖学博物館.(Pathologisch-Anatomisches
 Bundesmuseum)=
1866年まで「愚者の塔」と呼ばれた病棟の後に作られた、
「病理・解剖学博物館」は、髑髏、臓器、各種医療器具、
フォッルマリン漬けの奇形胎児、リアルな人体模型などを展示。
その医学コレクションの幅の広さは世界有数といわれますが、
数奇さはヨゼフィーヌムを超え
「いのちの恐怖の館」ともいわれています。
世界初の胃ガン手術を施した外科医・
ビルロートのホルマリンに入った摘出標本は
ここに保存されています。

●フロイト博物館(Siegmund-Freud-Museum )=
精神分析学者・ジークムント・フロイトが、
49年間住んでいた自宅と診療室を
博物館としたもので、多数の外国旅行者が訪れています。
フロイトは1856年5月6日、
フライベルク(チェコのプシーボル市)生まれ。
ライプツッヒ、そしてウィーンへと移住。
ウィーン大学で医学を勉強。
1889年には「無意識」の世界を発見し、
99年には有名な「夢の解明」を出版して
精神分析学という分野を開拓した。
精神病理を脳内のメカニズムから解明する、独自の方法論で
「心魂の解剖」に挑んだ記念のゾーン。

              *

ともあれ、この3つの博物館こそ
「体の解剖学」を超えた「心魂の解剖学」へ――、
近代医学への脱皮の軌跡を伝える貴重な記念館でもありますから、
僕が興味をそそられたことは言うまでもありません。
しかし、残念ながら、いずれも開館時間が短く、
また月曜日の休館日にあたってしまったため、
すべてを見ることはできませんでした。
なんとか、
閉館時間・午後2時の15分前にすべりこむことができたのが、
「医学史博物館ヨゼフィーヌム (Josephinum.)」でしたから、
その内部の異様な模様については、明日、紹介しましょう。


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2007年6月7日(木)

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