第1728回
オイチニの薬売り
昔懐かしい、人情味溢れる「薬行商人」の話をもう少し続けます。
前回、有名な富山の薬売りのほかに、
100年ほどまえに、全国を風靡した、
「オイチニの薬売り」という行商人の話を書きました。
オイチニ、オイチニ
生盛薬館(せいせいやくかん)製剤は親切実意旨となし
ハイ オイチニ オイチニ
病の根を掘り葉をたずね その効験を確かめて
ハイ オイチニ オイチニ
売薬商たる責任を 尽くし果たさんそのために
ハイ オイチニ オイチニ
春夏秋冬へだてなく 貧苦の人に施薬せん
ハイ オイチニ オイチニ
オイチニの薬を買いなさい オイチニの薬は良薬ぞ
ハイ オイチニ オイチニ
明治の末の生盛薬館という薬屋の行商が仕切ったのが
「オイチニの薬売り」だそうですが、
100年前の日露戦争後、
戦争で傷を負った傷痍軍人たちが、この商売で糊口をぬぐった、
つまり生計を立てていたというわけです。
金ピカの軍服まがいに盛装した薬屋さんが
手琴風(アコーデオン)を鳴らし、
「オイチニの薬は良薬ぞ」と、
歌いながら売り歩いたというわけですから、
まさに、貧しい人々、寂しさに沈む人々に語りかける
薬売りというわけです。
郷愁に満ちた音色の手風琴で「オイチニ」を唄うと、
土地の子どもたちが、
お土産の「紙風船」ほしさに
後ろからぞろぞろについて廻る・・・。
軍服まがいに盛装した薬屋さんは
少なくとも子供たちにとっては、
愉快で元気なおじさんでしたから、
「せいせいやくかん」の薬売りがくると、決まって、
「せいせいヤカンの禿頭!」「せいせいヤカンの禿頭!」と
頭をポンポン叩きながら、
替え歌ではやし立ててついて行ったそうです。
こどもたちには「薬館」といわれても、ちんぷんかんぷん。
軍服姿の「オイチニのおじさん」は、
歌の一節を唄い終ると「オイチニ」と歩調をとる。
子どもたちも続いて
「せいせいヤカンの禿頭 オイチニ」を連呼する。
なんとも、ユーモラスであり、もの悲しい珍妙な光景ですが、
「薬と人情といのちの金言」を、
置き薬とする「心身のケア」を背負って
全国を歩いていたことにもなります。
みなさんも読んだことがあるかも知れませんが、
内田百閧フ随筆「摩阿陀会」や
田宮虎彦の小説「足摺岬」などに、その物悲しくて
人情味溢れる姿が数々の近代文学の名作の中に登場してきます。
●内田百聞の随筆「摩阿陀会」
私の高等小学校時分に、
(略)ハンドオルガン即ち手風琴がはやり出した。
初めは家庭に這入ったのだが、
ぢきに富山の薬売りや、オイチニ館の行商が、
「そのまた薬の効能は、オイチニ、
溜飲、胃病に、腹くだし、オイチニ」
と歌って行く合ひ間の伴奏楽器になって往来を流す様になってから
手風琴の品格が下落した(略)。
●田宮虎彦の小説「足摺岬」
石つぶてのように、
野木をたたきつける烈しい横なぐりの雨脚の音が、
やみ間もなく、毎日、
熱に浮かされた私の物憂い耳朶を洗いつづけている。
私の枕元では年老いた遍路と行商の薬売りが将棋をさしていた。
遍路はいくつぐらいになっていたのだろうか。(略)
いつか私はその行商唱歌の一節をうろおぼえにおぼえていた。
それは――
親切実意旨となし、病の根を掘り葉をたずね
その効験を確かめて、売薬商たる責任を
尽くし果たさんそのために
という文句ではじまり、一節ごとに最後に
オイチニの薬を買いなさい
オイチニの薬は良薬ぞと結ぶのであった。(略)
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