第1576回
体育も智育も才育も“食育”にある
前に、このコラムの第1538回で、
「食育基本法」の矛盾についていろいろ書いてきました。
そして、いま注目になっている「食育」という
キーワードの語源は、
明治初期の陸軍漢方医・石塚左玄(いしづかさげん)の発案であり、
この医師こそ、いま若い女性の人気になっている
マクロビオティック玄米菜食法の元祖だ――、
という話を書いたことがあります。
*
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で検索すると、
以下のように書いてあります。
「なお、食育という言葉は、明治時代に
西洋医学・栄養学否定運動を展開した陸軍漢方医、石塚左玄が
『通俗食物養生法』(1898年(明治31年)
「今日、學童を持つ人は、
體育も智育も才育もすべて食育にあると認識すべき」)
で造語した。
数年後の1903年(明治36年)に
小説家・村井弦斎も『食道楽』
(「小児にはコ育よりも、智育よりも、躰育よりも、
食育が先き。躰育、コ育の根元も食育にある。」)で使用したが、
この2人以外による明治〜昭和初期の使用例は、
未だ発見されていない」
さて、明治初期の陸軍漢方医・石塚左玄とは、
西洋医学の医者が治せないような病気を
食べ物を変えることによって治した医者です。
わが国の食養医学の礎を築いた人で、
食養生の祖、
マクロビオティック玄米菜食法の始祖といわれる人です。
『通俗食物養生法』は、明治から大正にかけて版を重ねた
大衆向け食養解説書で、
蛋白質、脂肪、糖質のカロリー栄養学理論に対し
ナトリウム、カリウムという「二大ミネラル」で
食物と体について研究した理論を残しています。
1)食本主義-=人間のからだは食物が作る。
したがって食物で病気は治せる
2)穀食主義=人は歯の形から考えて、
主として穀物を食べるべきだ
3)身土不二(しんどふじ)=住んでいる土地で
採れたものを食べる、
あるいはその季節に出来たものを食べるという原則
4)一物全体食(いちぶつぜんたいしょく)
=食物は丸ごと食べましょうという理論
5)三白追放=白砂糖、白米、白パンなど精米あるいは
精製した白い食品は体には良くない・・・
*
以上が、そのときのあらましですが、
最近、一般雑誌でも
食養生法の企画に人気があるようで、
編集者から僕のところにも資料の問い合わせが来ます。
ま、マクロビオティック玄米菜食法の「イロハ」なら
拙著「しなやかな玄米菜食」が分かりやすいので、
この本を紹介するのですが、
いろいろ、昔、書いたものを探していたら、
すっかり忘れていたのですが、
もう5年前に、「文」(公文教育研究会 2001年夏号)
という教育雑誌に書いた、
「命綱としての石塚左玄」という
3ページのエッセイが出てきたのです。
「今日、學童を持つ人は、
體育も智育も才育もすべて食育にあると認識して、
獣食貪心に近寄らないようお願いしたい」
と、石塚左玄の主張を引用しつつ、
僕が、玄米菜食法を知ったことによって、
ガンを切らずに治した経緯が書いてあるではないですか?
また、後半には、小中学校の授業に
「食育」を入れろ!と、すでに、僕が提案していたのです。
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