第1269回
日本の医療は30年遅れている
連発される医療費負担増の改革とは、
赤字財政に打つ手がない政府自らが
「入院したければ高い金を払え」とでもいっているようなものだ。
やがて、アメリカ並みに、入院費+手術費で
500万円、600万円が常識になる――
そんなアホなこと!と、思う人もいるだろうが、さにあらず。
いのちの危機に遭遇したり、困ったときにあわてて医者頼み、
病院頼みにしていては、いのちばかりかおカネも長持ちしない――
こうした医療受難時代はどうなるのか?
「いのちの発想転換」の話の続きです。
長寿難病と財政赤字と医療費高騰という
この複雑な「いのちの三題噺」の対策には、前例がありました。
それは、近代100年、モノマネの対象として憧れてきた(?)
20年、30年前のアメリカで起こっていました。
もちろん、米国は日本のように国民皆保険ではありませんが、
医療費負担が国家財政を圧迫するのを防ぐために、
すでに「病院に行くな」「予防に力を入れよ」式の
医療政策が導入されていたのです。
ところが、日米の発想には一つの違いがありました。
政府、医師、患者の「三方一両損」といった日本の発想と違って、
国の負担も減る、医師はより儲かる、
一人一人のいのちを守る選択肢も広がる――、という、
「三方一両得」のコスト発想が、米国の底流に根強くあったことは、
面白い現象だと、僕は思っています。
というのは医療保険制度の見直しだけでなく、
日本では立証性、客観性が無いとして無視している、
漢方療法やサプリメントなどの代替療法への
見直しがより積極的に始まったからです。
80年代に医療費が急速に高騰。
90年代に米国の国民医療費は1兆2千億ドルに膨れ上がり、
医療費高騰の抑止のため、
国民の代替医療への関心を米政府も見過ごしにできず、
代替医療の研究に本格的に着手したわけです。
92年には米国立衛生研究所(NIH)に調査室を設置。
99年には5,000万ドルの研究予算を計上、
13の大学および研究機関に研究テーマが振り分けられた――、
すでに2005年の米国の国民医療費は1兆9365億ドル(約200兆円)、
名目国内生産(GDP)に対する比率は15%を超えます。
高齢化が本格化する2010年代には20%を超え
深刻な財政破綻をまねきかねないといわれているからです。
ま、このあたりの比較をみれば、
30年は遅れているといわれる、
日本の医療の後進性が分かると思いますが、
みなさんは、どう考えるでしょうか?
独断的な考え方をいわせてもらえば、
ただ米国の新薬のモノマネ式導入を図るだけでなく、
「いのちの値段」=医療コスト全体を見直す――、
同時に、治療の選択肢も
手術、化学薬といった西洋医学だけに狭めず、
中国医学やアーユルヴェーダ、ホメオパシーといった
代替療法も見直す――、
さらに、双方を統合したホリスティック医学
(人間丸ごとのつながりを診る医学)にまで医療制度を高める――、
そうした「いのちの時代」が来ていると、僕は考えています。
とくに、ガンのような難治療には、
西洋医学の限界が明らかになりつつありますから、
はたして、旧来の治療にこだわる病院に、
患者は高い料金を払って、いつまでも通い続けるでしょうか?
もはや病院経営も「いのちの発想転換」を迫られていると思います。
もちろん、その前に、僕たち、一人一人が、
長寿、高齢化時代を迎えたいまこそ、
「転ばぬ先の杖」という
当たり前の養生訓をしっかりと心得るべきです。
前回も書きましたが、
これは、
An ounce of prevention is worth a pound of cure
=「1オンスの予防は1ポンドの治療に値する」という意味です。
つまり「1000円の予防(養生)は100万円の治療に値する」
といった、いのちの発想転換
=養生の見直しが大切になってきているのです。
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