第1177回
作家・山口泉さんの“命の冒険”
「絶望を希望に変える、
ホリスティックな作家の一人」と、
僕が勝手に評価している
作家・山口泉さんの小説や評伝エッセイの話の続きです。
山口泉さんから、
「介護をもっと、ホリスティックに」
という11月の講演会の依頼を受けたのと前後して、
手元に送られてきた
長谷川沼田居(はせがわしょうでんきょ)
という異才の画家の評伝図録を読み進んでいくと、
「なるほど、山口さんらしい着眼だなあ」と思いました。
ちなみに、この画家の生誕100年を記念した
「オマージュ長谷川沼田居展」が、
この10月、足利市立美術館で開かれたのですが、
図録に寄れば――、
沼田居は足利に生まれ、
15歳で田崎草雲の弟子・牧島閑雲に南画を、
のちに閑雲の子息・如鳩(にょきゅう)に洋画を学ぶ。
その作品は、日本画、水彩画、クレヨン画、
さらには克明な鉛筆画と多岐にわたっているようです。
しかし、その78年の生涯の晩年10年間が波乱万丈。
山口さんは、長谷川沼田居の10年間、
両眼失明という絶望の中で絵筆を離さず、
その稀有の体験のなかで、
生命の輝きを見出した「本源の画家」として、
ことあるごとに評伝してきたようです。
1960年頃から視力が減退し、
右目に続いて左目も摘出、
人生最大の苦境に立たされながらも、
描くことは生きることであり、
決して筆を折ることがなかったというのです。
山口さんは次のように書いています。
「長谷川沼田居が真に人を圧倒するのは、
失明し、さらに言うなら眼球を喪失してもなお、
絵を描き続けたことである。
私はそこに、人間を低みに置こうとする、
およそあらゆる「運命」の愚劣さに向けられた、
人間としてこの上ない誇りと
勇気の持続的な顕れを見る。
この世にこれほどの冒険があるだろうか。」
そして、山口泉さんは、
じつに大胆な“命の冒険”を共有するために、
自らの700ページに及ぶ長編小説「神聖家族」で、
ある試みを実現させてしまったのです。
この小説は、女主人公の、
「心眼」の境地を描くことのみに止まらず、
失明、盲目、暗闇という絶望の中から掴み取っていく、
「人間同士の新しい結びつき」――、
その微かな「希望の世界」を描き切っているところが、
秀作と評価したい所以ですが、
なんと、旧題「千里眼の研究」を「神聖家族」と改題し、
この本の装丁に、この沼田居の「ひまわり」「鶏頭」など
4作品を起用したのです。
まさに作品全体まるごとを「絶望を希望に変える」――
命の世界、魂の共和国、
つまり、ホリスティック・ワールドに、
構築してしまったのです。
山口さんの一連の作品には、
いつも絶望の世界の中に温かい眼、
それこそ“心眼”が輝いています。
こうした、ホリスティックな“命の小説”に、
興味のある人は、この長編小説「神聖家族」を、
ちょっと手ごわいなあと思う人は、
「オーロラ交響曲の冬」という
大人の童話を読んで見てください。
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