第901回
多重ガンの患者との対面
僕の愛読している雑誌のひとつに
週刊金曜日という週刊誌があります。
落合恵子さん、佐高信さん、
椎名誠さん、筑紫哲也さん、本多勝一さんが
編集委員を勤める、
いまどき珍しい、
商業コマーシャリズムに頼らない
独自の市民活動雑誌です。
大企業の広告で採算を取らない分、
NHKはもちろん、
トヨタ、電通といった、
普通の週刊誌ではちょっと手を出しにくい
大企業のスキャンダルにも、
筆法鋭くメスをいれるので、
この編集方針が好きで、
すでに読んでいる方もいるかもしれません。
僕も、まえに、このコラムでもお馴染みの
土屋繁裕医師と「ドクハラ対談」で
登場したことがありますが、
この週刊誌の発行人であり、
社長である、黒川宣之さんから、
昨年の暮れに、突然、メールが来ました。
「2005年の1月から
ガン・レポートを連載するので、
ぜひ会って取材をしたい」というのです。
後日、新宿で会ってびっくりしました。
なんと、黒川さんは僕より少し年上ですが、
「私、前立腺ガン、胃ガンなど3つのガンと闘ってきたのです」
というではありませんか?
最初、前立腺ガンを宣告されたのは、
1996年9月といいますから、足掛け10年、
週刊誌という普通の4倍も忙しい編集から
経営までをこなしてきたというのですから、
この人、並大抵の患者ではないのです。
お互いに、ガンの部位も治療法も違うわけですが、
黒川さんは10年、僕は7年、
何とか工夫して延命してきたわけですから、
取材される僕が、ついつい身を乗り出して
根掘り葉掘り取材したという
おかしなインタビューとなってしまいました。
ただ、情報を交換していて分かった
大事なことがひとつありました。
黒川さんが発病した1996年と、
僕が発病した1999年――、
この3年の差はとても大きいということです。
この3年の間に、ガンの検査方法も治療法も、
インフォームドコンセントや
セカンドオピニオンといった医療システムも
格段の変化を遂げていたからです。
そればかりではありません。
ガン情報の収集法に大きな進歩がありました。
インターネットの急激な発達です。
黒川さんのときは、
ウインドウズ95がやっと出たばかりの時期でしたが、
僕の発病した1999年には、
軽量ノートパソコンの全盛時代を迎えていて、
ガン病棟での情報収集が一段とラクになっていたことです。
よく、ガンで助かるかは、
運だ、奇跡だ、縁だと、
オカルトっぽく評価する人がいますが、
その「運」の中にも、
医療テクノロジーや医療システムの進歩が
大いに一役買っているということを忘れてはなりませんね。
積極的に情報収集し、適切な治療を、
自分の手でしっかりと掴むべきものだと再確認したのです。
まさに「タイム イズ キュア&ケア」でもあるわけです。
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