元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第884回
立身出世とは? 死後の世界とは?

帯津医師の年頭講話の続きです

          *

60歳定年とともに、
人生をあきらめる人がいますが
若いころの青雲の志も、
たまたま掴んだ立身出世の経歴も
これでは台無しです。
ところで、ほんとうの立身出世とは
末は博士か大臣かといった狭い意味合いではなく、
「徳を積んで聖人、賢人となること」をいうのです。

ガンの患者さんもおなじでしょう。
死後の世界も見つめ、
体の穴という穴から
いのちのエネルギーがあふれ出るような人こそ、
すばらしいと思いますね。

夏目漱石の「野分」や書簡集を読むと、
死生観がよくわかります。
「死んでも私はある」
「理想の大道を行けばいい」といったことをいっています。

私は、昔、死ぬ前にじっくり読む本を
しまっておいたことがありますが、
最近はやめました。
人間は、はるか死後にも開ける
150億年の“虚空”の世界を目指すべきだと思っています。
私の場合は、ホリスティック医療の推進です。

先日、膀胱ガンが再発して亡くなった
ある地方の患者さんの話を伺いましたが、
主治医が「毎月毎月、悪くなりますよ」
といったそうです。
奥さんが目に涙して訴えていました。
一生の最後にこうした患者の生きがいも
無視してしまう心無い医師に出会ってしまったら、
本当につらいものです。

漱石ではありませんが、
この世の志だけでなく、
死後の大きな生命世界を見据えた人生観、
そして医療というものが待たれていると思います。

ガンはあきらめてはいけない――、
生命場のエネルギーをみんなで高めよう――、
という考え方の源には、
「死んでも私はある」という死生観が大切なのです。
ここから「あきらめない」という希望が湧いてくる
のだと思います。

          *

以上が、帯津医師の年頭講話のあらましですが、
「立身出世」の関門を
「登竜門」といいます。
たしかに帯津医師の話のとおり、
中国古来の伝説には
「滝を競って登った鯉は天に昇って龍となる」とあります。
死後の世界も見据えた言葉なのですね。

ガンとの闘いも、
ただ体を切ったり、
臓器を取り除いたりするだけではすまない、
人間丸ごと=大きな生命の問題を
秘めているのではないでしょうか?
ガンはあきらめてはいけない――、
ぜひ、皆さんも
この言葉を忘れないでいただきたいと思います。


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2005年1月27日(木)

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