第4336回
国にも年齢があるのでは
もしかして人間に年齢があるように、
国にも年齢みたいなものがあるのではないでしょうか。
国の年齢と言っても、その時点にその国に生きている人の
平均年齢のことではありません。
国としての勢いのことです。
私が小説家を志して家族を連れて東京に戻って来た
昭和29年の日本は漸く敗戦のどん底から這い上がって、
国の建て直しにとりかかった時でした。
資本も資源もない日本にできることは
外国から綿花とか羊毛とか鉄鉱石などの原料を輸入して
加工して再輸出し、その差額を稼ぐこと以外に
飯のタネはありませんでしたから、
「国際貿易は日本人の生命線」と
本気になって思っている人が少くありませんでした。
安い綿花や羊毛や鉄鉱石を輸入してそれを加工して
製品として輸出してその差額を稼ぐ以外に
生きる手段がありませんでしたから、
かつての工業地帯だった京浜や阪神の北九州に次々と工場を建て、
地方から集団就職の若い人を集めて物づくりに励んだのです。
森進一だってそうした新卒の一人だったし、
私が正月に田園調布の駅前広場でひらかれている
歌謡曲大会をききに行って、
島倉千代子という満艦飾に着飾った小娘が
「東京だよ、おっ母さん」を歌っているのをきいて、
思わず涙をこぼしそうになったのも、
実は日本経済の青春期だったからです。
その頃の若い人は、そうしなければ
おまんまにあずかれなかったのも事実ですが、
皆が皆、何とかして精一杯生き抜くことに夢中でしたから、
日本の国は若さに溢れていました。
それから半世紀にわたって日本は敗戦後の貧乏国から
世界の一流国にまで大出世をしましたが、
気がついて見たら、「栄枯盛衰はよの倣い」という事実を
裏書きする所まで来てしまったようです。
私は日本人の活躍する土俵は世界まで広がったから、
「新しい土俵に出て一勝負したらどうですか」と
最近出た週刊ポストで提案したら、
「お前こそ日本から出て行け」という投書が
賛成より100倍もありました。
日本もいよいよ本格的に年をとったようですね。 |