第4100回
不仕合わせが芸を磨くきっかけに
もし私が日本に戻って文筆家にもならず、
ボルネオに行って貝殻集めにもならず、
九龍半島の新界で只のように安い土地を買って
パパイアを植えていたとしたら、
はたしてどうなっていたでしょうか。
私が東京へ去った後の香港はその後も大へんな発展を遂げ、
地価はそれこそ100倍にも及ぶ暴騰をしました。
農業などやる人はどこにも現われませんでしたから、
私もパパイアを植えたり、鶏を飼ったりするのは辞めて、
不動産になり、土地が値上がりをして産をなしたのではないかと
ノンキなことを言ったら
忽ち家内に大笑いをされてしまいました。
「あなたのようなせっかちは地価がちょっと上がったら、
それで儲かった儲かったと有頂天になって、
土地を売ったお金で次の土地が買えなくなって、
地団駄ふんでいるだけのことですよ。
自惚れも自分の頭の中にしまっておいたらどうですか?」
言われて見れば、確かにその通りのことも
あり得ないことではありませんから、
結局、人は自分が選んだ道の次の分かれ道まで来て、
また新しい選択をすることになります。
その場合もまた次の決断をすることになりますから、
決断のよい人はよい決断をすることになるし、
愚図はいつまで立っても愚図つくことをくりかえすことになります。
私の直木賞は
日本国籍を持たない人がはじめてもらった文学賞ですが、
今と違って日本人が1人も出て来ない小説ですから、
どこからも原稿の依頼がないという淋しい受賞でした。
折角、文壇へのフリー・パスをもらったのに、
筆一本で暮らして行くことができなかったのです。
私が小説だけでなく、中央公論の巻頭論文屋からはじまって、
社会評論、食べ物随筆、髷物小説、歌謡曲、
さては株の神様、金儲けの神様に至るまで手を拡げたのは
私が小説でメシを食って行くことができなかったからです。
「芸が身を助けるほどの不仕合わせ」と言いますが、
不仕合わせが芸を身につけるきっかけになるのではないでしょうか。
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