第4055回
ピンチで日本の輸出産業の大移動
いま、テレビを見てもわかるように、
日本国中が一致団結を叫んでいます。
ふだんは言っていることもバラバラで、
政党だって「出たり、入ったり、また出たり」ですが、
共通のピンチに遭うと、
力を合わせて助け合うのが日本人の特徴です。
今回の大地震の時、私はたまたま北京にいたのですが、
災難にあった人たちがガソリンや水や食糧の配給を受けるのに
ちゃんと行列をしているのを見て、
新聞もテレビも口をきわめて
日本人の礼儀正しさを激賞していました。
「これが中国人だったら、どうだろうか」
と中国人は自分たちのことをよく知った上での日本人礼讃でした。
かつて敗戦後のピンチから立ちなおって、
池田首相が
トランジスター・ラジオを持ってヨーロッパを訪問した時、
ヨーロッパの新聞は一せいに
「エコノミック・アニマル」と言って日本人を揶揄しましたが、
「エコノミック・アニマルは本当は中国人で、
日本人はグループ・アニマルと見るのが本当だ」
と私は口に出して訂正したことがあります。
日本人はグループを組んで秩序正しく行動するので、
家族だけでやる農業よりも、
グループを組んでやる工業に向いている国民なのです。
欧米の先進国から見様見真似で習い覚えた工業で
敗戦のどん底から
たちまちアメリカと世界の首位を争う地位までのしあがったのは
決して偶然ではありません。
私は直木賞を受賞した昭和31年の4月号の文藝春秋に執筆した
「日本天国論」でちゃんとそうなることを予言しています。
しかし、その日本も、人間と同じように成長期もあれば、
中年もあれば、やがて熟年期にかかってしまいました。
一つの国がいつまでも栄えることは
歴史を見てもあり得ないことなのです。
ですから20年も前から私はアジアの時代が来ることを予言し、
そうした動きの中で
日本のはたす役割は何かについて指摘しています。
今から17年前に書いた
「アジアの勃興」(PHP刊)を読んで見て下さい。
「輸出産業の3分の1が海外に移ります」
とちゃんと書いてあります。 |