第3555回
3年目にやっとコーヒー豆選別工場が
私はコーヒー園の仕事はなかなかお金が儲からないし、
形ができるまでに少くとも10年はかかるから、
資本は全部、自分で出す積りでした。
しかし、同行した人の中には
自分が現場の責任を持つからと言う人もあれば、
損をしてもかまわないから
自分も参加させて欲しいという人もあって、
結局、何人かの人が資本参加をしてくれました。
ところが、実際にやって見ると、
思ったよりずっと手ごわい仕事で、
よほどの辛抱強さがないと初志を貫くことができません。
現にこれまで7年の間に総経理をやってくれた人は
4人も変わっているし、
最初から一貫して変わらないのは、
このホーム・ページを見て
サラリーマンをさっさと辞めて雲南の山奥に駈けつけてくれた
村田君1人だけになってしまいました。
何しろコーヒー園をやると言っても、プロは1人もおらず、
はじめて尋ねて行ったコーヒーの選別工場で出されたのが
コーヒーではなくて普洱茶だったのですから、
最初は現地の工場に委託して
コーヒー豆を地べたに拡げて干すことからスタートし、
自前の工場を建てたのは3年もすぎてからのことでした。
しかし、我々が現地の人と違うところは、
豆を地べたに拡げて干す代わりに、
鉄板で台をつくってその上に並べて乾燥することにしたのと、
ブルーマウンテンと同じティピカという種類の豆だけを
どこの山でいつ採取したかわかる形で
等級別に仕分けして仕上げたので、
どこにもならない一級品を誕生させることができたことです。
その代わりコストが高すぎて
日本のどの焙煎業者にも相手にされず、
泣き泣き自分でコーヒー・ハウスをつくるところまで
追い込まれてしまいます。
幸にも「捨てる神あれば、拾う神あり」で、
私のところには邱友会という集りがあって、
さまざまの職業や商売の人が参加してくれているので、
私が「どなたか、北京でケーキとパンをつくるのを
助けてくれませんか」と一声かけたら、
たちまち反応があって、
北京の三全公寓にQコーヒーの店が誕生することになったのです。
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