中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第2832回
日本文化は台湾に在り、本当ですか

私は台湾の生まれですが、24才の時に
時の国民政府と争って台湾をとび出し、
24年間、
台湾に帰りませんでした。
1971年に国民政府が国連を脱退し、
国をあげて大混乱におちいった時、
いままで私をつかまえて銃殺にしようと言っていた連中が
使いを東京までよこして、
私の帰国を促しました。
邱センセイのような国際的に名の売れた人が
こんな時に台湾に帰ってくれたら、
民心の安定に役立つからというのが理由でした。

私は翌72年の春に24年ぶりに故郷の土を踏みましたが、
以来、月に一ぺんの割合で台湾に帰っています。
間もなく第一次石油ショックがあり、
それから台湾の経済成長が急速に進んで、
台湾は四小龍の一匹として
アジアの経済発展のトップに立ち、
国民一人当りの外貨準備高では
世界のトップに立ったこともあります。

日本とは日本の敗戦によって縁が切れましたが、
アジア中でもっとも対日感情がよく、
いまも日本語が通ずるところは台湾をおいてはありません。
35年前に、私がグループを組んで台湾の視察旅行に行ったら、
タクシーに乗った同行者がタクシーの運転手に
「天皇陛下はお元気ですか」
と挨拶されてたまげていたのをいまでも覚えています。

この35年間に私は台湾でもかなり色々の仕事をやり、
台北市の銀座4丁目にあたる所にビルを建てるのからはじまって、
工場団地をつくったり
ゴルフ場や、有名雑誌のオーナーまでつとめましたが、
最近はだんだん台湾に行くのが億劫になって、
いまでは2ヶ月に1回くらいになってしまいました。
民進党の天下になると、
国民党時代よりも汚職がひどくなって、
経済もすっかり退化してしまったからです。

年が明けたら立法院の選挙に続いて総統の選挙があるので、
環境が一新するかも知れませんが、
政治を見限った企業家たちは9割方、
大陸に工場を移転しています。
でも最近、
私は台湾で面白いことを発見しました。


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2007年12月11日(火)

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