中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第2785回
私はQ銘柄の先生だけではありません

中国経済は今や
アメリカに追いつかんばかりのところまで来てしまいました。
20年前には想像もできないことです。
私自身は先を見ることに興味があり、
鄧小平が分配にばかり重点をおく共産主義に疑問を抱き、
政策の転換に動きはじめた時、
これで中国は大きく変わるのではないかと察知しました。
特に鄧小平が
「1年に3万人の留学生を先進国に送り出す」
と公言した時、
「これで決まりだ」と私は膝を叩いたのです。
どうしてかというと、
一足先に留学生をアメリカに送り出した台湾では
一足先に経済発展がはじまり、
いまでは政界、経済界のリーダーは
ほとんどが新しい学問を身につけた次世代によって
占められるようになっているからです。
中国でも同じことが起れば、経済界がまず一新し、
それが政治を含めて社会全体を
大きく変えることになると思ったのです。

それまで駐日大使館から何回も
「中国大陸に行ってみませんか」と誘いかけられても、
「いやいや、もう少し待って下さい」
と断り続けていた私が突然、行く気を起したのは
いまから19年前の1988年9月のことでした。
はじめて北京入りをした私は駐日大使館のアレンジによって、
副総理だった時に、
深圳、珠海、汕頭、厦門の四つの経済特区をつくった谷牧さんと
人民大会堂で会見をし、僅かな時間でしたが、たちまち意気投合して、
中国経済の大発展を確信したのです。

あれから19年の歳月がすぎましたが、
はたして世の中も一変しました。
外貨準備高の不足に悩んで、外貨を自社調達させるために
外貨立てのB株市場までつくった中国が
1兆ドルをこえる外貨を保有するようになり、
中国がクシャミをしたら、
アメリカが風邪をひく時代になってしまいました。
この「もしもしQさん」のコラムを見ている人の中には
私を「中国株の先生」と思い込んでいる人も
結構たくさんいるようですが、
私は別にプロの株の先生ではありません。
株のために使う時間も資産の中で占めるパーセンテージも
全体の10分の1もありません。
株だけが私の人生ではないのです。


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2007年10月25日(木)

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