第2384回
人材派遣も国境をこえる時代に
人材派遣業はいまや日本でも
新しい事業として世間から認められるようになりました。
企業にして見れば、
毎年、昇給や賃上げ斗争に患わされないですむし、
退職金や年金の積み立てで
頭を痛めないですむようになるからです。
一方、ニートという新人類まで発生しているくらいですから、
定年まで真面目に1社で勤め上げようなんて心掛けの人は
少なくなる一方ですから、
とりあえずメシが食えればいいじゃないか
という人たちの嗜好にあっています。
しかし、そういう人たちでも選り好みをしますから、
社会が働き手を必要としている分野では
次から次へとブランクが生じています。
入国管理局では、
自国人の雇用を守るために
外国から低賃金の労働者を入れることに対して
きびしい制限を設けていますが、
そのうちにそんな悠長なことを言っておられなくなる時が
必らずきます。
つまり国境をこえて人材の交流をしなければならない時代が
必らず来ると私は見ています。
そういう考え方をするようになったのは、
もう10年以上も前のことですが、
国境の扉は堅く閉ざされたままなので、
具体的に動くことができませんでした。
それが全くひょんなことから寧夏の有力者たちと近づきになり、
銀川市に案内されて土地の経済事情を説明され、
それがヒントになって、たちまち新しい構想が生まれました。
とうとう同じようなことを考えている人に集まってもらって、
人材市場の勉強会に行くことになったのです。
総勢41名で一旦、北京に集合していただき、
9月4日から6日まで2泊3日のスケジュールで
銀川市入りをしました。
銀川では寧夏回教自治区の省長にあたる馬啓智主席が
わざわざ宴席まで設けてくれ、
新聞も日本から人材考察団が来たことを報道してくれました。
日本で不足する人材の供給をすることについて
自治区をあげて協力しましょうという話になり、
自動車修理学校から料理学校、看護学校、
コンピューター学校、農業学校に至るまで、
日本で言う「金の卵を生む」若者たちを養成する学校を、
こちらが疲れ果てるまで案内してくれました。
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