第2291回
うちのガスコンロはプロ用です
さてここいらで
もう一度我が家の家庭料理の自慢話に戻らせて頂きます。
うちの家内は女中さんが六人もいる家に育ったので、
私のところへ嫁に来るまで
台所の中にろくに入ったこともありませんでした。
結婚してからも、私の新家庭には
台所専門と掃除洗濯専門の女中さんがおりましたので
娘が生まれてもさして不自由はしませんでしたが、
私が小説家を志して東京に移るようになると、
日本には家事専門のプロの使用人がおらず、
文字通りお手伝いさんしか雇えませんでしたので、
たちまち三度の食事をつくるのにも不自由するようになりました。
その上、母屋との渡り廊下を改造した狭い俄か台所でしたから、
コンロの前に人が立ったら、
うしろは人を通すこともできません。
家内はすぐに香港に手紙を書いて
父親から中華料理の本を送ってもらい、
本と首っぴきで台所に立つのが日常になりました。
そこへ次から次へとお客を招んだのですから、
安岡章太郎さんの「良友・悪友」の本にも書かれているように、
どんな台所だろうと思って覗いたら、
七輪の上に中華鍋が一つ載せてあるだけで、
そこから奇跡的な料理が次から次へと出てくる
と言った貧弱な光景からスタートしたのです。
それでも新しい家に移る時は、
先ずお客をした時のことを念頭において、
料理がしやすいように
充分なスペースをキッチンにとるように設計したり、
ガスコンロも一般家庭用では熱量が足りないので、
料理屋で使う太いガス管を引いてもらうようになりました。
中華料理の野菜炒めは青々としあがることが何より大切で、
青いまま炒めあがるためには
昔はフイゴを使って温度をあげたものなのです。
料理は食べるのは簡単ですが、つくる方は大へんです。
食べて満足して帰る人は
帰り際にうちの家内にねぎらいの言葉の一つもかけてくれますが、
中にはこんなのがありました。
「邱さんの奥さんにうまれて来なくて本当によかったわ」
有馬頼義さんの奥さんでした。
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