中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第2196回
成熟社会とは量より質で勝負する社会です

新しい日本が国際的にはたすべき役割に
眞剣に取り組んでいない人でも、
老齢化と成熟化に対処する方向については考えます。
自分も老齢化するし、
まだそれを実感しない人でも、親が老齢化して
その世話をしなければならなくなっているからです。

それに比べると、成熟化社会に対する対応は
自分がそれを実感していない人が多いために
必らずしも社会的な常識になっていません。
成熟化って何のことだと反問する人さえあります。
人間にだって成長期と成長がストップする時期があります。
成長がストップして体格がそれ以上大きくならない状態を
便宜上、成熟期と呼び、
そういう状態まで辿りついた社会のことを
成熟社会と呼んでいるのです。

もっとも人間の体格だってどこまでが成長期で、
どこからが成熟期であるか、
はっきり区別できるとは限りません。
また成長がとまったら、すぐに成熟期に達したとも言えません。
コドモの次はオトナとは限らず、
俗にコトナとも言うように
どっちつかずという時期もあります。
日本人自身もそういう時期が続いている間、
どう表現するかに困って、
低成長という言葉で表現したことがあります。

低成長時代が終わって
過剰生産によるデフレが目立つようになったのは
バブルがはじけてかなりの時間がたってからのことです。
デフレがはじまってからも、
なかなかそれを認めず、
景気の恢復を期待する声が続いてきましたが、
実はそのあたりから日本の国は成熟社会入りをはじめたのです。
もうオトナの骨格になったのですから、
物をいくらたくさんつくっても
社会がそれを受けつけてくれなくなりました。
量で勝負しようとすると安売り競争になって
必らずしっぺかえしを受けます。
この微妙な変化を理解しない人は
更に安売りをかけて倒産、
あるいは倒産寸前まで追いこまれてしまいましたが、
世の中は少しずつ
量から質で勝負する時代に変わってきたのです。
成熟社会とは質で勝負する時代になったということです。


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