第1997回
黄山開発の夢を見たこともありました

今回の考察団のスケジュールに黄山を選んだのは、
工業化にも劣らない勢いで突っ走る
中国の観光産業を実地に見る
絶好の場所だと考えたからです。
黄山と言っても知らない人が多いかも知れませんが、
黄山は中国大陸のど眞ん中に聳える
山水画のモデルになるような絶景で、
私は十何年前に2回、
1回目は合肥市長さんに、
2回目は黄山市の副市長さんに案内されて、
山上のホテルに宿泊したことがございます。

はじめて北京を訪れた時、
私は人民大会堂で、
かつて4つの経済特区をつくった
元副総理の谷牧さんと会見をしました。
その折りに私が中国経済が発展したら、
次は中国の観光資源が
外資を稼ぐようになるだろうから、
観光にも力を入れて下さいと言ったら、
「私もまったく同感です」
と打てば響くような返事がかえってきて
忽ち意気投合したことを憶えています。
そのあと合肥の鐘市長さんに誘われて
黄山に登ったのですが、
その時も既にケーブルカーができていて、
乗るのに2時間も待たされるというブームが
はじまっていました。

2回目、黄山の副市長さんに案内されたのは
黄山市がホテルの開発を
私に持ちかけてきた時のことでした。
黄山の麓に湧いていた温泉は
既に枯れかけていましたが、
私は将来、この土地は
中国の代表的な観光地になるだろうから
荒れはてた麓の温泉宿の修復を
引き受けてもいいと考えて、
台湾の部下たちを20名ほど連れて
下調べに行ったのです。

でもかなり不便なところですから、
うちのスタッフの大半が半信半疑でした。
私がこの土地の将来性について説明にかかると、
うちの家内が横から口を出して
「うちのセンセイはそうおっしゃるけれど
 責任者になってくれる人がこの中にいますか。
 センセイだっていつかは年をとって死んでしまいます。
 その時は開発の責任者になった人に
 ホテルごとさしあげます。
 そういう条件で、ここの総経理になる人がいたら、
 手をあげてください。」
そうしたら一瞬シュンとなって
誰一人手をあげる人はいませんでした。
というわけで開発はパァになってしまう
といういきさつがあったのです。


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