第1603回
自分はどうすればよいのかの原点に立って
近い将来、日本はどうなるのか、
考えたことがありますか。
そして、その中にあって
自分はどうすればよいのか、
考えてみたことがありますか。
本当はどちらもどう考えてよいのか、
わからないことです。
わかっていたとしても、
自分としてどう行動していいのか、
わかっていないというのが本当でしょう。
でも時には本気になって
それを考えて見る必要があるのではないでしょうか。
自分のイージーな生き方に
活を入れるためにも・・・。
私は人生の大半を
もう既にすごしてしまいました。
使い残しはもう僅かしかありません。
お金ももうそんなに要りません。
あと生きている間に使うくらいのお金はありますし、
それをもっとふやしても何の役にも立ちません。
私くらいの年齢になれば、
大半の人が然るべき地位から退いてしまっていますから、
今更地位に恋々とする必要もありません。
でも勲章くらいは欲しいでしょう
という質問が残っています。
お金や地位はもう欲しくない人でも、
名誉慾はなくならないと言います。
ローマ法王でも大僧正といった地位にいる高僧でも
名僧と仰がれることにはこだわるそうです。
しかし、年をとって見るとわかることですが、
勲章とか色々の名誉職がころがり込んでくるためには
そういうコースがあって、
そのコースに近い所を歩んだ人にだけ
縁のあることなのです。
名誉とあまりかかわりのない人生を
生きたからと言って、
不名誉な生き方をしたわけではありません。
ならばこの年になって
今更、日本はどうなるのか、
自分がどう生きたらいいのか、考えなくても
あとの人生を生きることはできます。
でも私はいつも私よりもっとずっと若くて、
これからの人生をどう生きるかを考える人たちと
同列に並んで物を考えます。
そうすると、わからないこともたくさんありますが、
どうやればいいのかというヒントも
次から次へと湧いてきます。
人は時々、原点に立って
考えることからはじめる必要があるようです。
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