第1541回
タッチの差で私も客家族土楼の住人
もう一つ面白かったのは
客家族の土楼を見るために、
5、6時間もかけて
山の中の永定県まで行ったことです。
客家族の土楼は世界の遺産の一つとして、
よく観光雑誌などに紹介されていますが、
厦門からも遠いし、
わざわざそのためだけに行く人は
そんなに多くはありません。
その点、みんなでしばりあって
スケジュールに組むと、
いやでも行かざるを得ならなくなると思って、
やっと念願をはたすことができました。
客家族とは南宋の時代に中原から追われて
四川から福建、広東まで散り散りになった
中国版「平家の落ち武者」です。
行った先々で外来者として冷い目で見られ、
反感や攻撃の的になったので、
襲撃から身を守るために
円形の集落住宅をつくり、
その中で何百人もの人が共同生活をやったのです。
そうした建物が福建省の北西部に
大小360あまりも残っているそうですが、
若い働き手の大半は
アメリカや東南アジアに
出稼ぎに行ったまま帰って来ないので、
いまでは年寄りと子供たちが
海外からの送金によって細々と暮らしています。
私たちは龍岩市という奥地にしては
立派な新しいホテルに1泊して、
そこから永定県まで足を伸ばして
土楼の見学に行きました。
粘土を糯米と黒砂糖で練って築いた1階に
窓のない4階建の土楼の中で、
昔ながらの客家料理を食べましたが、
これが予想外の美味でした。
客家族と言えば、孫文をはじめとして、
小平も李光耀も李登輝も客家の血筋をひいており、
そういう私の父も龍岩市から
更に1時間ほど北へ車を走らせた
長汀県(もとの汀州)から7才の時に
母親に連れられて台湾に渡ったのだと
きいたことがあります。
私の母親は福岡県久留米市の人ですから、
私は一時代前のハーフといったところでしょうか。
昔なら、銀貨を人夫に担がせて故郷に錦を飾り、
村に小学校くらいは寄付したのでしょうが、
私は自分の生まれた台南市に
永漢民芸館を寄付しただけで、
とうとう汀州までは行けずに
帰路についてしまいました。
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