第1457回
客家は中国の平家の落ち武者です
媽祖の総本山をごらんいただいたら、
渡し舟で大陸に戻って
船着場のそばの海鮮料理屋で
ピチピチの魚料理をいただき、
その足で永定県に隣接する龍岩市まで車をとばします。
客家族の土楼の中には
宿泊設備のあるところもあるそうですが、
落差がありすぎて観光客には無理なので、
田舎町のホテルですが、
一晩だけ龍岩市で辛抱していただきます。
翌朝、早く見学する土楼は、
日本で言えば、平家の落武者にあたる連中が
流れ流れて土着した先で、
迫害に耐えながら生き延びてきた壕舎です。
客家は言葉も客家語という独自のものであり、
女性が働き者で
男の方が食べさせてもらっている感じです。
客家料理は福建料理や
潮州料理とは違った独自の流れに属して、
塩鶏という鶏を丸ごと、
塩の中に埋めて蒸した料理と
醸豆腐と呼ばれる豆腐を揚げて煮た料理は
客家料理を代表する有名な料理です。
北の方から新しい征服者に追われて
全国散り散りバラバラになって逃げたそうですが、
どこからどう逃れてどこに落着いたのか
詳しいことはどこにも書いてありません。
でも今日、中国を代表する人物の中には
客家系が意外に多く、
小平も李光耀も李登輝も客家の出身です。
そう言う私の父も福建省の客家地域から
台湾に移住したのだそうですが、
私は台湾の南語圏で育ったので、
客家語はできません。
血は流れていてもそういう帰属意識がないので、
故郷に帰る感じはありませんが、
民族的興味がありますので、
そうした目で見に行くことになると思います。
土楼の見学を午前中に終えて、
また長くバスに揺られて厦門(アモイ)に出ます。
厦門はケ小平がつくった4つ経済特区の中の1つがあり、
台湾の人は大半がこの土地からの移民なので、
台湾の人たちの父祖の土地ですが、
開放政策以後は台湾資本が大きな力を持っています。
でも私たちが見学に行くのは
北京大学が厦門につくったバイオの工場です。
21世紀は多分、バイオの時代になると思いますが、
中国の先端技術でつくられた最先端工場の1つです。
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