第1435回
技術力と組織力と見様見眞似が資本

では日本を世界のトップまで
押し上げてきた日本人の活力は
失われてしまったのでしょうか。
もしくは次の文明社会では
役に立たなくなったのでしょうか。

工業社会をトップまで押し上げるための
日本人の一糸乱れない組織力と努力は
物の見事に成功をもたらしましたが、
それによって
豊かな社会が必要とする物的手段は
ほぼ飽和点に達してしまいました。
日本人の平均収入が
隣接するアジアの国々のほぼ30倍、
あるいはそれ以上にも達しているのですから、
それ以上を望むのは罰あたりというものでしょう。

でもこれで行き止まりと言われても、
これから人生の始まる若い人たちには
承服できることではありません。
工業生産でもう行き着くところまで行き着いたとしても、
行き止まりから
また次の新しい道がひらける筈です。
戦争に敗れて4つの島に追い返された時だって
実は行き止まりだったのです。
そこから工業化社会への新しい開拓がはじまったのです。
としたら、同じことがここからはじまったとしても
不思議ではありません。

いま日本人は50年間、
工業化を推進したおかげで、
他の国の人たちが持っていない強力な武器を
2つ持つことになりました。
1つは技術力を含めて工業社会を運営して行く能力です。
もう1つは工業化によって
この50年間に蓄めこんだお金です。
日本人の一人一人は自分が他人に比べて
金持ちだと思っていないでしょうが、
それはよその国の人と比べたことがないからです。
身についた知識や技術も資本に加えると、
産業界では紛れもない資本家なのです。

実は日本人にはそうした自覚がないので、
自分らの身についた資本を活用しているとは言えません。
しかし、それは紛れもなく日本人だけが
この半世紀に築きあげた資本であり、
それを国境を越えて活用するか、
それとも国内に向けて発揮するかは
その人の環境や考え方によって決まります。
敗戦後の工業社会が
大企業によってスタートしたものではないように、
デフレ社会の推進役も大企業ではありません。


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