第1431回
いまデフレの実験台になっている所です

工業社会の主流は何と言っても、
大量生産、大量販売です。
最初は王侯貴族や富豪などの
特権階級だけに許された生活様式を
庶民の間にまで普及させることができたのは、
物づくりをコンベアにのせて
効率的に仕上げるところまで
合理化することに成功したからです。

そうした生産の合理化は多分、
ヨーロッパの片隅からスタートを切って、
やがて全ヨーロッパに拡がり、
一時期、ヨーロッパ勢が
世界を制覇する原動力になりましたが、
その原理を一番はじめに発見した人と、
それを実地に応用して世界に普及させた人は
必らずしも同じ人間であるとは限りません。

新大陸を発見したのはコロンブスですが、
アメリカを植民地にして
その勢力を伸ばしたのはイギリスです。
新大陸の発見は、
農産物の需給に大きな変化をもたらしましたが、
天候と土地に左右される農業の宿命そのものを
抜本的に変えるには至りませんでした。

世界を大きく変えたのは、
むしろイギリスの本土を発祥の地とする紡織や
蒸気機関や造船の技術が
その植民地であったアメリカに移されて
アメリカが工業社会へのスタートを切ったことです。
と言っても、アメリカ自体が
大きな農業社会であったことに変わりはありませんから、
1929年の大恐慌で過剰生産で
一番ひどい目にあわされたのは農民たちでした。
自動車や家電製品をコンベアにのせて
大量に生産するようになったのは、
それからあとのことであり、
農作物よりもコンベアにのせてつくられる
工業製品の過剰生産が
産業界にピンチをもたらすのも
実は今回がはじめてなのです。

かつて人口の50%を占めていた農民が
5%に減るほど工業化の進んだ日本が
その先頭に立って頭から火の粉を浴び、
深刻な影響を受けるのは、
考えて見れば当然のことで、
日本人がポヤポヤしていたからではありません。
デフレの先陣を受け持って
どうすればこの難局を切り抜けて行けるか、
いま実験台になっているところです。


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