第1177回
本はこれからも知識と知恵の宝庫です

私はよく本屋に行きます。
もちろん、読みたい本を買うためですが、
私の読みたい本は少し片寄っているかも知れません。
新聞にデカデカと派手な広告が載っている
ベスト・セラーズは滅多に買いません。
何冊読んでも、自分の知らないことや
自分の役に立つことや
自分の発想のヒントになるようなことに
ぶっつかったことがほとんどないからです。

私の発想の源泉は大雑把に言うと、
二つのところにあります。
一つは現実に起っていることです。
現実に起っていることは静止状態にあることは少く、
水の流れのように刻々と変わるものです。
ちょっと油断をすると、
自分の頭の中にあるイメージと現実の間に
大きなズレができてしまいます。
自分だけが置き去りにされてしまう心配があるのです。
私がしょっちゅう旅行したり、動きまわったり、
多くの人にあったりするのは、
流れの変化を見落さないためです。
レストランに食事に行くのだって
3回に1回は行ったことのない店に行くように心がけています。

もう一つは人に教わることです。
人に会って教えを乞うのも人に教わることですが、
人間の最大の知恵の宝庫は本の中にありあす。
巨大な倉庫ですから、ガラクタも山ほど詰め込まれています。
その中から自分の役に立つ本を選び出すわけですから、
それなりの要領も必要なら、失敗や無駄もあります。
その代わり何千年も昔の人の知恵からつい最近の、
私より年の若い人や私よりずっと偏屈だったり、
常識はずれの生活をしている人の知恵もありますから、
宝探がしの楽しみも盡きることはありません。

テレビやインターネットが普及するにつれて
本を読む人が減り、
活字の世界は斜陽化が激しいと言われていますが、
他人の知恵を借りて自分の知恵の引出しを整理したり、
入れ変えたりしたい人にとっては
無くてはならない存在です。
とりわけ思想の組み立てや伝達は
本以外の形では難しいでしょう。
インテリのことを中国語では「読書人」と言いますが、
時代が変わっても、このこと事態に
そんなに大きな変化はないと私は思っています。


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2003年5月31日(土)

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