第1092回
桂林にはうちの家内も同行します

私がはじめて桂林に行ったのはいまから14年前、
私が65才の正月のことでした。
「花街の母」の作詞家もず唱平さんが
私に同行して一緒に漓江下りの船に乗りました。

桂林の町に入ると、テレビに映っていたような
珍しい形をした山並みがちらほら見えてきます。
翌朝、船着場に行って船に乗り込むと、
すぐ目の前にそういう山々が聳えているので、
最初は甲板に上がって山を背景に
次々とシャッターを切っていました。
でもそういう山また山がずっと連なっていて、
行けども行けども同じ景色が続いているんです。
ガイドブックには書いてありませんが、恐らく五千や、
あるいはそれ以上も続いているんじゃないでしょうか。

しまいに見るのも嫌になって、
私たちは自分の席へ戻って酒を飲みはじめましたが、
ガイドさんはと見ると、
麻雀やトランプにうつつを抜かしています。
なるほどこれは人生を絵巻にして
見せてくれているようなものだな、
はじめて大学にうかったり、就職したり、結婚したりすると、
その時なりの感激があるけれど、
慣れてしまえば、だんだん退屈するだけ。
だから人生も自分なりにくぎりをつけて、
いつ自分は死ぬか、自分で決めようと考えて、
帰ってから「私は77歳で死にたい」という本を書いたのです。

一昨年で77才に達し、いまだに生きのびて
老残をさらしていることになりますが、
私がもう一度桂林に行くと言ったら、
行ったことのないうちの家内も一緒に行くと言いますから、
奥さんも連れて行ける方はお連れになって
うちの家内の話し相手になってあげて下さい。
うちの家内はつい最近、上海の新天地に
メゾネットのマンションを買って、
今年は上海に住むんだと張り切っています。

北京→桂林→柳州→上海というコースですが、
桂林にはご夫妻で参加というのも一興かと思います。
飛石連休を桂林ですごしたい方は、
アジア交流センター(03-3400-9393)へどうぞ。


←前回記事へ

2003年3月7日(金)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ