第1030回
股旅物の方が情がありますね
長谷川伸先生、佐藤春夫先生と
年の順序に亡くなって、
年の若い檀一雄さんが一番最後に亡くなりましたが、
長谷川先生と佐藤春夫先生が亡くなっても、
奥様が生きている限り
私と家内と娘と三人で正月の挨拶に行きました。
長谷川邸では先生が亡くなってからも、
毎年正月元旦には昔のお弟子さんが
先生が生きていた時と同じように集まり、
お屠蘇を飲んで在りし日の
先生の思い出話に花を咲かせました。
この会合は奥様が亡くなるまで続きました。
ところが、佐藤邸では
次の年と次の次の年くらいまでは
昔のお弟子さんがいくらか集まりましたが、
一人また一人と見えなくなり、
とうとう正月の用意をしても
ほとんど人が来なくなったので、
奥様は遂に正月の用意をやめてしまいました。
私たちはそんなことはおかまいなしに、
元旦に玄関のベルを押すと、
電灯もついていない奥から
お手伝いさんが顔を出して
「邱センセイがお見えですよ」と声をかけると、
暗がりの中から奥さんが走るように出て来て、
「これはこれは。よく忘れずにおいでいただいて」
と恐縮しながら、
二階の佐藤先生の元の居室にある
佛壇の前まで案内してくれたものです。
それから冷えた部屋のガスをつけて、
佛壇に向って合掌し、
「あなた、見えますか。邱サンと奥サンとお嬢さんですよ」
と私たちにもきこえる声で話しかけるので、
こちらも思わずジーンとなってしまいます。
挨拶が終わって門の外へ出て、
自分たちの車に乗ると、
うちの家内が言いました。
「あなた、やっぱり股旅物の方がいいですね。
義理人情をちゃんと教えていますから、
その点、近代文学は情けなしで駄目ですね」
うちの家内は香港の人で
日本の文壇がどうなっているか
知る立場にはいません。
でも毎年、挨拶廻りをしているうちに、
世の移り変わりを目の前で見て
そういう受け取り方をしたのでしょう。
私は返答に困って
苦笑するよりほかありませんでしたが、
ちょっと考えさせられることですね。
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