第963回
なぜ私はホテル王になりそこなったか
ビジネスホテルをつくって開業した時、
一人目のお客は作詞家のもず唱平さんでした。
「花街の母」の作者です。
何しろまだタイルの乾いていなかった上を
歩いてもらったので、いまも記憶に残っています。
ビジネスホテルと言っても何のことかわからない人が多かったし、
宿泊代3000円では新聞や雑誌に広告をする予算もないし、
どうやってPRしてよいかわからなかったので、
私は地方の講演会に行く度にパンフレットを持って行って、
経営者たちの集まりで
「皆さんのように自分の出張旅費を自分で決められる人は
ホテル・オークラか、帝国ホテルに泊まって下さい。
でも皆さんの会社の人が東京に出張する時はこちらにどうぞ」
とクチコミで宣伝をしました。
その甲斐あって次第にお客がふえ、
どうやら部屋が満杯になりました。
日本国中がまだ空いていたのですから、
本来なら次々とビジネスホテルのチェーンを拡げて行くことも
できないことではありませんでした。
それをやっていたら、私は日本一のビジネスホテル王になって
いま頃、ヒルトンと肩を並べていたかも知れません。
私がそうしなかったのは、
私が根っから実業家でなかったからです。
私は自分でビジネスを拡げて行く代わりに
新しい商売をやりたい人を集めて
「ビジネスホテルはこうやって経営すればやって行けます」
と言って講釈をしました。
私の講釈をきいて、それぞれの地方で
ビジネスホテルを開業する人がふえて
今日のような形になったのです。
私のつくったビジネスホテルは64室しかありませんでしたが、
同じ人数で150室くらいまでなら目が届きますから、
経済的な効率を考えたら、改良の余地はいくらでもありました。
またホテルの地下には
レストランをひらくだけのスペースがありましたが、
私はそれをホテルの経営と完全に切り離しました。
一流ホテルはどこもレストランを兼営していますが、
ビジネスホテルはそうすべきでないと私は考えたからです。
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