第687回
ことしの旅行事始めは昆明から

ことし、2002年の海外旅行の事始めは
雲南省の昆明からスタートしました。
昆明には、8、9年前に来たことがありますが、
町の様相は一変していました。
飛行場から市の中心に出る途中は
新築のマンションの大群で埋められていましたし、
中心部は高層建築が林立して、
沿岸地域の大都市と少しも変わりありません。
経済の急速な発展によって、
近代化した中国の大都会がどこも似たり寄ったりで
個性を失いつつあることに物足りなさを感ずるのは
恐らく私1人ではないでしょう。

私が8、9年前に昆明に行ったのは
「昆明は中国投資の有力な候補地の1つです」
と言って誘われたからです。
昆明は中国の1番南西部に位置していて、
西はチベット、南はビルマとタイに隣接しています。
日中戦争の頃、蒋介石の重慶政権を援助する物資は
ビルマのラングーンから昆明経由の
いわゆるビルマ・ルートで送り込まれていました。
私の高校の西洋史の先生は、
「日本軍が重慶まで攻め込んだら、
 蒋介石はここまでは来んめいと言って
 昆明まで逃げ込むだろう」
と駄じゃれ半分の講義をしていましたので、
遠い遠い地の果てだという印象が
いまでも私の頭の中に残っています。

しかし、それよりももっと印象深いのは
戦後ベストセラーになった
「人間の歴史」の著書の中で安田徳太郎さんが、
「日本人の祖先は雲南省から来た」
と力説している件りです。
実際に行って見ると、
家のつくりも米を貯蔵している倉庫のつくりも、
屋根の上の木の組み合わせ方も
日本の神社の建物にそっくりなんですね。
床の下が空いていて風の通るようになっていることも、
家の中にしきりがなくてあけっぴろげになっているのも
とてもよく似ています。

「日本人はここから移動して九州に天孫降臨したんだよ」
と言われても、もしかしたらという気になるのが
雲南省なんです。
嘘と思ったら一ぺん足を伸ばして
現地を見に行って下さい。


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2002年1月26日(土)

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