第587回
農地を選んで動くのが農業です
地球が狭くなると、人間の行動半径も変わるし、
商売のやり方も変わってしまいます。
農業社会だった時代は、
土地を耕して作物をつくるのが
人間の生活の手段でしたから、
大半の人が土地にしばりつけられていました。
土地がどこにあったかということよりも、
土地があることが大切でした。
ですから、耕す土地があれば、
人はその土地にしばりつけられ、
それが薩摩にあっても加賀にあっても、
土地は土地だったのです。
土地のあるところに百姓がおり、
米ができれば、そこに地主も領主もいたのです。
東京の郊外にあるか、それとも青森にあるかは
あまり問題にはなりませんでした。
農業とは自分の土地があり、
(小作であってもかまいませんが)
その土地がどういう作物をつくるのに適しているか、
そして、何を植えるかが問題でした。
そういう農業を何千年にわたってくりかえしてきたので、
そのプロセスで耕作の技術とか、
品種の改良には長足の進歩がありましたが、
基本的には土地に人間がしばられた農業でした。
社会の主流が農業から工業に移っても、
農業のこうした土地依存性に変わりはありません。
でも最近、私と私の周辺にいる人たちが考えている農業は
そういう農業ではありません。
自分の持っている土地に
何を植えるのがいいかということではなくて、
いま我々が社会が必要としている農作物に対して
供給したい作物は何か、その作物をつくるのに
アジアのどこでつくればよいかを考えて、
そこに行ってつくるのが農業だということです。
たとえば、トマトやブドウなら新彊省のウルムチ、
パイナップルなら海南島、
ブロッコリーなら上海の崇明島か
台湾の鵝鑾鼻の付近といった所に行って
農業をやろうということです。
農民が土地にしばられるのではなくて、
作物に向いた土地を選んで農民が移動する農法です。
グローバル化時代の農業はそうなるだろうと思って
計画をすすめています。
|